私は何のために生まれてきたのだろう?「こころとからだの平和のバトン」2日目
私は何のために生まれてきたのだろう?「こころとからだの平和」について第2日目です。
スピリチュアルヒーラーの上田佳穂さんから「こころとからだの平和バトン」を受け取りました。
これは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
上田さんは作詞家・作家の吉元由美さんからバトンを受けて私のところに渡してくださいました。私の辿った「こころとからだの平和バトン」について書こうと思います。
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私が最初に「こころとからだの平和」について関わった経緯については昨日こちらに書きました。
私は医療という仕事を通して心と身体のことについて関わり、予防医学を研究しているうちに地球環境問題の深刻さを知り、衝撃を受けたのですが。
この時、私の人生を大きく変えたもう一つの出来事がありました。
それは私の父が癌だということがわかったことでした。発見された時はもう手の施しようのない末期癌で手術も抗がん剤も効果がない、余命2ヶ月ただ死を待つだけしかないと言われました。
父が体調の不良を訴えてからすぐに私は夫の所属する大学病院で父に最新鋭のあらゆる検査を受けさせました。にも関わらず何も病気は見つかりませんでした。
なのに病気がわかったのは設備も最新鋭でない町の開業医。
でわかった時は余命2ヶ月。
日本中のすべての最新鋭の科学をもってもわからなかった。そしてただ死を待つだけだと言われたのです。何もなす術もなく絶望的になりました。
そして遂に私は「スピリチュアルな手法」に頼ることにしました。
子どもが生まれた時も他の透視能力者に見てもらったりしましたが、自分では絶対にやりたくないと思っていました。
でも父にできることはもう「スピリチュアルな手法」しか残っていませんでした。
そこで私は当時はまだ珍しいスピリチュアルヒーリングを教えに来ていたアメリカ人のレバな先生にご指導いただき、父にヒーリングするようになりました。
癌の自然療法の栄養療法や外科医がする宇宙エネルギーの療法もしていたので、何が効いたかわかりませんが、父はみるみる生気を取り戻し回復していきました。
元気になってきて10ヶ月過ぎた時、転院した病院側の意向で抗がん剤を受けることに。
私は反対しましたが、医師の方針に沿わないなら出て行ってくれと言われ、、、、。
それで抗がん剤投与から10日後に父は他界しました。
私は父が亡くなった日、車を運転しているとラジオから「私は死んでいくけれどお前は自分の人生を生きなさい。」と聴こえてきました。
たぶん何かのセリフだったと思います。でも私はこれを聴いて「父からのメッセージ」だと直感して涙が止まりませんでした。
父が亡くなり、しばらく私は自分の人生について考えました。
「父はどんな思いで私を育てたのだろう?」
「私が生まれてきた時にどんな風に生きて欲しいと望んだだろう?」
そんなことを考えていた時に「あ、、、そうだ、、、。きっと私と同じだ。」と思いました。
私が娘に対して思っていることと同じだ、、、、って。
私は娘に「自分の人生を思いっきり生きて欲しい、自分の使命や役割を生きて欲しい。
生まれてきてよかった〜」と思って欲しいと願って育てていました。
もし、娘が大人になって結婚して夫の為だけに生きていて自分を見失い、夢もなくなっていて、家族の為だけに生きる、、、そんな生き方をしていたら絶対に嫌だ!と。
そんな人生を生きる為に娘を産んで育てているんじゃない!と思いました。
当時の私ときたら、、、、
結婚したら良妻賢母になるべき!女は良い母であり、妻であり、嫁になるべき!
結婚したら自分のことはすべて犠牲にして家族の為だけに生きるべき!と本気で思っていました。
私、明治生まれじゃないですが(苦笑)
私がいつもブログで書いているドールシープですね(笑)自由とか、夢とか、自分の意見とかまるでなかったです(笑)
夫を支え成功させるのが妻の役目と思っていました(苦笑)
でも父が亡くなり、自分の娘の将来を思った時、、、、
このままでは娘(5歳)は私と同じ道を辿ってしまう、、、と思いました。
たぶん、今の私しか知らない人は驚愕するし信じないでしょうけど(笑)
私、明治女みたいでした(笑)
そのタイミングと地球環境問題を知り衝撃を受けたのとほぼ同時なのです。
やっぱりすべてのタイミングって意味がある時に来るんですね。
私は「自分のやりたいこと」をしよう、私が私らしく生きよう、、、と父の死後1歩踏み出したのが地球環境のNGO活動でした。
(初めて国際会議・サミットに出始めた頃)
娘がね、、、大きくなっても、その子どもも、そのまた子どもも、みんなが生き生きと幸せに暮らせる「美しい地球を残していきたい」っていうのが大きなモチベーションになりました。
で、それまでの数年間、、、、「私の魂はどうなっていたんだろう?」と思いますね(笑)
結婚したら自分の人生は諦めるべし!みたいな感覚でしたからね。
でも、私は「自分の人生を自分らしく歩いてみる」というのをここからスタートしました。
父の死と自分の人生とスピリチュアリティーが同時に起こったんですね。
それまでの私の人生はスピリチュアリティーを封印していましたから。
スピリチュアリティーが封印されていたわけですから「健康じゃない」ですよね。
それはどういうことかというと。
世界基準での「健康とは?』というのはスピリチュアリティーもあってのことなのです。
(オーロラ・アラスカ州・米国にて)
「魂」=「霊性」と言ってもいいと思いますが(ここの区別の説明は長くなるので今日はしないでおきます)
英語では「魂」=「Soul」
「霊性」=「Supiricuality」(スピリチュアリティ)となります。
「肉体だけでなく心も魂もあって人間だ」ということです。
世界基準で考えると他国では「スピリチュアリティ」を外して考えることはないです。
WHO(世界保健機構)では「健康の定義」として「スピリチュアルとダイナミック」というのを追加し、改正しようということになりました。1998年です。17年も前です。
そして1999年のWHO総会で議論され、国連総会で議決され批准される予定でした。
反対国は無かったもののまだ改正が完了しておらず国連での健康の定義は昭和26年当時のままになっています。
詳しくは厚生労働省のホームページをごらんください。
世界基準の「人間とはなにか?」ということについて、肉体、心「スピリチュアリティ」=「魂」なのです。
というわけで「こころとからだと」だけでなく私はスピリチュアリティーの目覚めがありました。
他のスピリチュアル関係(霊能者、気功師、透視能力者)に見てもらうことはあっても自分だけは絶対にやらない!と決めていましたが父の癌のことでその封印は解かれました。
自分で許可したということですね。
それまで私はスピリチュアルなことに自分は関わり合いたくないと思っていましたから。
それは後でわかりましたが私は過去世で政治的に利用されたり、魔女狩りにあったり、白人に生きたまま火炙りにされたり、怖がられて村八分にされたり、修行ばっかりしていたり苦しい人生ばかりでした。
なので今世は「絶対にしないぞ〜〜!」と思っていたようでした(笑)
でも、今はそういう危険もだいぶ無くなって良かったです。
今は「魂の導きに沿って生きたい!」という人が多くなりましたから。
まとまりのない話になりましたが2日目はこの辺りで。
3日目の最終回はどうなるのだろう〜〜?自分でもわかりません(笑)
思いつくままにただ書いています。文筆業のプロではないのでお許しください。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。