魂が喜ぶこと・教えられました

こんにちは。天海 和美です。

原始の姿を残す美しい釧路湿原。幻想的でもあり神秘的でもある。

時として時間を忘れさせ、この世界はなんと美しく、素晴らしいものかを教えてくれる。

言葉なんていらない。

聖域の妖精(湿原の聖域)

大自然の厳しさや逞しさ生きることの喜びも教えてくれる。

wpid-2015-11-05-18-33-54.jpg(釧路川から見た太陽と虹)

そしてこの地球上には私たち人間だけでなく多くの生命が共に生きていることを思い出させてくれる。

しかし、その場所は僅かに残るだけ。

その僅かになってしまった場所で健気にも彼らは生き延びている。

ほんのちょっぴりの場所で人間に遠慮しながら。

_DSC0623(キタキツネの赤ちゃん)

どの命もみんな一生懸命生きている。ただ今を生きている。

動物たちにも愛があり、命を育み家族を命懸けで守っている。

その姿は美しく、生きることへの力強さと勇気を与えてくれる。大丈夫だよ~って言ってくれているみたいな。

SONY DSC (夕暮れの空を飛ぶ丹頂鶴)

だから私は大自然の中に身を置くことがたまらなく好きです。

でも、彼らが棲む場所はこの地球上にも日本にももうほとんど残されていません。

僅かながら残されて場所さえもそのすぐそばでは森が切り倒され、はげ山になり無残な姿になっている。

何万年もかけてようやく作られた亜寒帯の土。それはとても脆弱で一度壊れると元に戻ることがとても難しい。

山に雪が積もり半年間の冬に入る。春には雪解けになり森が自然のダムになる。

雪解け水も雨もふわふわの分解されない亜寒帯のスポンジのような土に吸われ。

その水を少しづつ流していく。森は天然のダムだから。

そのことによって釧路湿原の豊かな自然が育まれている。森が死んだら湿原も死んでしまう。

そして湿原で暮らす丹頂鶴、キタキツネ、エゾシカ、オオワシ、オジロワシ、エゾタヌキ、エゾフクロウ、サンショウウオ、シマリス、鮭、、、。

数え切れないほどの生き物たちが暮らしている。

湿原や森の豊かな栄養があるからこそ釧路の沿岸で魚がたくさん採れ、クジラやイルカやシャチが生きられる。

私たちは森や湿原によって生かされているのだ。

だから森や湿原が死んでしまえば私たちの生命にも、未来の子どもたちの生命にも影響を与えるのです。

森そのものが生命の源であり、私たちを養い育んでくれています。

生命の源である水も空気もすべて森が作っているのです。

ペットボトルに入っている水は森で作られているのです。

私はこの旅で最も印象的だったのがこの伐採された森を見たことでした。とても無残な姿でした。

wpid-dsc_0735.jpg(伐採された湿原の側の山々)

胸が押し潰されそうでした。

前日、鶴居村のホテルTAITOオーナーで写真家、ガイドでもある和田さんからこの森が今、売られようとしている話をお聞きしていました。

それで私は和田さんにお願いしてこのはげ山になったところに連れて行ってもらったのです。

美しい湿原の光景とは真逆の世界でした。

森は売られ消費される。はげ山になったまま放置されている森はどうなるのだろうか?

wpid-dsc_0731.jpg(森は壊され放置されたまま)

そしてこのはげ山の隣の森も売られようとしている。

次々と森が伐採されれば湿原も死んでいく。

私はこの森を見て自分の生きたい方向、やりたいことを思い出しました。

私は4年半前に東日本大震災を機にオフィスのあった神奈川県の湘南海岸から「本当に住みたいところ」(北海道)に転居しようと決めたきっかけは水と森でした。

すべての生命を育む森。

あの時のことを鮮やかに思い出させてくれました。

「いのちのあるところ」

自分の魂がイキイキと生きられるところ。

私はこの森を見てますます鶴居村に住みたいと思いました。

今回、和田さんがお話してくれた釧路湿原の歴史や森林伐採の話も私が宿泊したのも偶然ではないと思いました。

そして和田さんにこの森と湿原を守るプロジェクトをしましょう!と提案しました。

私は湿原の精霊や古代から住んでいた湿原の祖先たちに導かれて来たんだ、、、とそう感じました。オーバーかも知れませんが。

この日はレムリアのレイラインからの遠隔ヒーリング最終日、満月の日でした。

これは私たちの魂の記憶を蘇らせる旅だったのだと感じました。

そして私はここでまたたくさんの夢を思い出しました。

夢は夜見るだけでは無く

夢は叶えるもの、そうでしょ?

その方が楽しい人生になるから。