ついに謎が解けました
こんにちは。天海 和美です。
アイヌの古老アトゥイ氏から聞いた話で。
「17世紀頃、ヨーロッパですごいアイヌ文化のブームが起きていたんだよ。」と聴いた。
だからアトゥイ氏が今から60年近く前にヨーロッパを旅した時、「大英博物館にアイヌの上等な衣類や生活用品(日本には現存していない)沢山のものが展示されていて驚いた。」と言っていました。
17世紀ってまだ日本は江戸時代で鎖国していたじゃないですか。
その頃、貿易していなくて長崎の平戸だけで、外国人しかもオランダ人限定でやってたはず。
どうしてそんな17世紀のヨーロッパでアイヌの文化がブームになったんだろうと思っていました。
私のイタリア人の友人・オリガもアイヌオタクなのです。今、沢山のアイヌの本(英語版)を買って勉強しています。
でそんな大昔にアイヌ文化が広がった謎が解けました。あくまでも憶測ですが。
それはシーボルト。彼はドイツ人なのに日本に行きたくて!行きたくて!オランダ人の振りをしてオランダ商船に乗り日本に来ていた医者です。
そして日本オタクだったので沢山のことをヨーロッパに紹介しました。
でシーボルトは最上徳内と共著でアイヌ語辞典を編集してヨーロッパで出版していました。
シーボルトは30代、徳内は70歳を過ぎていて、シーボルトは「NIPPON」という著書で徳内について学識豊かな老人であると書き残し樺太の図を描いたそうです。
最上徳内は伊能忠敬、松浦武四郎に先駆けて蝦夷地を調査し、幕府の北方への執政に影響を与えた市井の学者だったそうです。
そうか、シーボルトか!!と思いました。
でも、これは私の憶測なのでアイヌ語辞典からだけではないかも知れませんが。
この最上徳内は9回も蝦夷地行き、長期で滞在し、様々な地理を調査し、幕府に報告し、道路を作ったりしています。
和人ですがきっと蝦夷地でアイヌの人たちの協力をたくさん得ていたから出来たことと思います。
きっとアイヌの友だちも沢山いて色んな智慧を教えてもらったのではないかと思います。
そんな徳内を尊敬するシーボルトですからきっとシーボルトの著書の中でもアイヌの文化について沢山のことを書いたのだと思います。
どんな智慧だったのかな〜?日本人なのに日本の先住民のアイヌのことを殆ど知らない私です。
今日は友だちの誕生日プレゼントを買いに行ったら空に虹の柱が立っていました。
全ては最善の方向に進化しているのだな、、、と感じました。