すべての人に愛を込めて・生きているだけで価値がある

こんにちは。天海 和美です。

先日、「人は生きているだけで誰かの役に立っているのだな、、、」って思う事が度々ありました。

その人が何気なくしてることが人の生きる励みになっていたり、ただご飯を食べているだけでも人の役に立っているのだな、、、と。

私の母は今、心身共に元気が無くて弱っている、、、という感じです。

本来は歳なのにスポーツお婆さんでパークゴルフに毎日出掛け、いろんな大会で優勝しまくり今年も市の大会で優勝して表彰されていました。

そんなスポーツお婆さんで気丈な人なのにこの数週間でまるで別人のように変わってしまいまいました。

きっかけは新車を買ったのですが納車して30分もしないうちに車を小型トラックにぶつけたことでした。生まれて初めて事故を起こしたのです。

誰も怪我もしていないし相手の車が少し凹んだ程度だったらしいのですが、母は自分の不注意でこうなったことを必要以上に責めて自信を失ってしまいました。

私はもう歳だからか?ボケたのか?と自分への自信を失くしてひどく落ち込んでしまいました。私がだいぶ慰めて母も「元気でたわ、、、」と言っていたのですが。

実際は塞ぎこんでしまって家で引き籠ってご飯もろくに食べていなかったようです。

それから1週間ほどして下血したと言って「私は癌だからもう死ぬんだ。」ということでパニックになっていました。

結局、私はすぐには母のところへいけなかったので事故から2週間後になって母にようやく会えました(他の予定を全部キャンセルして)

母はもうか細くてフラフラしているような状態で、私が励ましても何をしてもネガティブで絶望的なことしか言いませんでした。まるで死刑宣告確定みたいな感じで。

二言目には「あなたに私の気持なんかわからないでしょ!!」ってキレるし。

私もなんだかイライラして怒りがこみ上げていました。でもその怒りは今の状況に対する怒りではないことは頭ではわかっていました。

幼い頃の私が怒り、悲しんでいるのだということは理性的に理解していたのです。

でも古い感情が爆発しそうになりながら湧きあがてくるのは高野山に行ったからその解放なのだろう、、、仕方ないな、、、、と思っていました。

一度目の前に現れて解放をしなければならないのは常です。波動が上がる時は重たいネガティブな古いエネルギーを持っては、上昇できないからです。

それにしてもなぁ、、、、毎年、冬至の前はしんどいなぁ、、、、と思っていました。

高野山にいる時に母の癌騒ぎと娘の虫垂炎の手術の可能性が同時に来て、、、それで私は毎日、高野山で浄化の祈りをして、奥ノ院でも宿坊でもご祈祷をしてもらいました。

それで2日目くらいに「もう大丈夫」という声が聴こえました。私もとても安心したのですが。

実は後でわかったのですが、母はあの交通事故で大けが、ないし死亡事故になったかも知れなかったと、、、、。でもそれも助けてくださって、、、、。

もし、それで大事になっていたら私は高野山に行くことは出来なかったので。その時、私はもしあの時母が死んでいたら、、、、と思うと、これから癌だと言われてもそれはちゃんと受け止めようと思いました。

事故で急に亡くならずに癌になったとしたら私と母には時間が与えられたのだからそれを有効に使おうと思いました。

今ね、お母さんが癌で闘病生活をしている人とか、寝たきりで介護している人とかいるでしょう。とっても大変な思いをしてるかも知れない。

でもね、それは神様があなた方家族に与えてくださった大切な時間かも知れません。

元気なご両親でも明日はどうなるかわからないのです。

私は母のそばでどうしたらいいのか?毎日見ていました。
何が出来て、何が出来ないのか?何をサポートしたらいいのか?

何でもやってしまうと何もできなくなってしまうからできるだけ自分でできることをやってもらおうと。

ところが母は大袈裟に何でも言うし、自分でできないと甘えるんです。
いろいろくまなく調べて腫瘍が見つかりましたが良性で手術しないで経過観察しましょうと言われました。
その時はとても嬉しくてホッと安心しました。

しかし、母は癌でなかったことに、それでも納得しないで、とっても暗いのです。本当は癌ですって医師に言って欲しかったんじゃないかと思うほど。

どうして素直に喜べないのか?と。

夜中に怖い夢を見た~~~っ!ってすごい血相で私のところに来たり。
ネガティブ発言ばかりで、、、、。

それで私の中から「だって私が子どもの頃、こんな風に言ったでしょ!とか私には何でも自分でやりなさい、人を頼ってはいけません。自立しなさい。私がこんな時には冷たかったくせに。とか私のことだってちっとも理解してくれなかったでしょ!」とかそんなことばかりが心の中に湧きあがってくるのです。

それで気づきました。私は母の老いを受け入れられないんだ、、、、って。
悲しいんだ、、、、、って。

自分の子ども時代の恨みでも何でもなく、昔はパワフルだった母が急に年老いていく姿を受け入れられなかったんだ、、、、って。

私がどんなに励ましたり、楽しませようとしても全然ダメだったので本屋に行きました。

本屋さんに行ったら瀬戸内寂聴さんの『老いも病も受け入れよう』という本があったので買って来ました。瀬戸内寂聴さんは私が日本で一番好きな作家です。

母は全然本を読まないのですがこの本のタイトルに興味を持ち少しづつ読み始めました。
癌になりながらも「死の淵から生還した94歳」という見出しが書いてありました。

母は瀬戸内さんが94歳なのにこんなにワクワク楽しげに生きている。癌の手術のことをワクワク待っていられるってどういうこと?って思ったらしい。

私はテレビばかりだと良くないので母に高音質のCDコンポを買って来ました。

それでウォン・ウィンツァンさんのピアノ曲をかけて聴かせていました。私は20年以上も前からウォンさんのファンでCDをたくさん持っていました。

とっても優しい音色のピアノ曲です。

そのCDを聴かせていた翌日、、、、facebookでウォンさんのお父様が97歳で療養中だったのに病院からウォンさんのコンサートに車いすで来れて、翌日から元気を取り戻したと記事がアップされていました。

お父様は病院のベッドの上で座ってご飯を食べている写真がアップされていました。もう諦めかけるほど気力を失われていたのにご家族皆さんで励ましたら元気になったと書かれていました。

愛の力って凄いな、、、、って思いました。

それで私はその記事と写真を母に見せました。母は会ったこともないのにウォンさんのお父様のことをとても喜んで記事を見ていました。そして自分よりもずっと年上なのにこんなに頑張っているんだ、、、と思ったようです。

ウォンさんのお父様はただご飯を食べていただけなのですが。まさか自分が元気を取り戻したことで、それが誰かの生きる力になっているなんて考えてもいらっしゃらないと思います。

でも、ただ生きよう!と思ってご飯を食べていることが世界のどこかの誰かの役になっているのです。

自分には価値なんて無い、自分は大したことなんてできない、誰も自分を求めてくれないと思っている人が多いです。

でも、あなたがただ生きているだけで、お店のドアを開けて誰かを入れてあげるだけで、スーパーのレジで急いでいそうな人を先に譲ってあげるだけで、電車の中で妊婦さんに席を譲ってあげるだけで、その人の心の中は温かくなるのです。

そして自分が優しくしてもらったことは、またそれを誰かに同じように返すのです。

だから人はただ普通に生きて、小さなことをするだけ充分役に立っていると思うのです。

大きな事をしなくても自分の生きている範囲で人に親切にしたり、植物や動物を可愛がったり、水や空気を汚さないようにしたり。地球の資源を無駄遣いしないようにしたり。

周りの人や地球に感謝したり。できることっていっぱいあると思うのです。
何気ないことだけど私も出会う人たち、出来事にいつも感謝のエネルギーを渡したいと思いました。

愛を込めて

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追伸
シャスタ山の愛のヒーリングオイルをご注文頂いた皆様。遅くなりましたが明日にはお手元に届くと思います。
お待たせして申し訳ありませんでした。

でも、凄い凄いパワフルな無条件の愛がいっぱいで。

もう凄い癒されます💗
お楽しみに。