豊かさは本当はあります

こんにちは。天海 和美です。

北海道は6月に入ってからなぜか寒い日が続いています。

畑の中はまだ何も植えていなくて暖かくなるのを待っています。去年は遅霜で多くの方達は枯れてしまったそうで。

私が植えたケールや他の苗たちは遅かったからか元気に育ってくれました。

何も植えていないのに先日はたくさんの収穫をしてきて改めて自然の恵とその豊かさに感謝しました。

何も植えていないのにちゃんと食べられるものがそこにあるってすごいことだということに気づきました。

(山ウド)

ある意味、私にとっては衝撃的でした。

だって働かないと食べられないとか働かざるもの食うべからずとかって思うでしょ?

だから働かないと生きていけないんだ、、、、だから一生懸命頑張って働くぞ〜〜!みたいな。

それで食べるために森や山を崩して畑にしたり、埋め立てたりしてきたんじゃないかって、、、。

それでわざわざ肉体労働して必死に働いて食べ物を得なければいけないと思ってきた。

何のため?、、、、、生きるため。

生きるために働く、食べるために働く、、、。

何も疑わずにそう思ってきたけどそれって間違いかも知れないって思った。

「縄文時代は自然の中で調和して暮らしていたから食べるものに困らなかった。」とアイヌの古老は言いました。

縄文時代の1万年間は平和で安定していて戦争の痕跡が無いと。

私もその感覚は何となくハートの奥で感じます。

自然と調和した循環の中で生きていたら食べるものはいつでもあったのですよね。

本当はみんな幸せに楽しく生きたいのに、毎日頑張って働いて、いや働き過ぎて辛いんじゃないかな、、、、。

そんなに死ぬほど働かなくても良いのに、、、って思うけど、それを選んじゃうんでしょうね。

山や森が豊かだったら本当は食べ物がそこにあるんだと思うのです。

先日ちょっと行っただけで食べきれないほどの季節の山菜が採れましたもの。

そうやって神様は私たちが生きるためのもの、、、、全てをちゃんと用意してくれたのだな、、、と恵に感謝します。

ここ数年、パーマカルチャーにすごく関心があって。

昨年はアメリカオレゴン州ポートランドの街づくりや農場にボランティアに行ったりしました。


(ポートランドのオーガニック農園)

先日、ふと「パーマカルチャーとは?」っていうのを読んだんです。

「パーマカルチャーとは、オーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンが構築した人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系のことです。

この言葉は、パーマネント(永久な)とアグリカルチャ-(農業)あるいはカルチャー(文化)を組み合わせた造語です。

パーマカルチャーの祖、ビル・モリソンは、パーマカルチャーの目的を「地球を森で覆い尽くすこと」と言ったとありました。元リンク

つまり持続可能な農業とは、行き着くところ「森」だったんだ!って(笑)

だから私たちが森づくりをすることはいろんな意味で「持続可能な農業」でもあるわけです。でも働くわけではなくほっておいて自然にそこで実りがあるという。


(アラスカのツンドラ地帯に自然にたわわになるベリー類)

すぐにそれが実現出来るわけではないけれど、それを一つづつやっていけば良いのだと思いました。

山とか森ってとても深い役割があるな、、、と感じました。

そんなわけで森づくり始まります。


(釧路のエゾフクロウの赤ちゃん)