地球と一つになって感じたこと・神聖な感覚

こんにちは。天海 和美です。

実は畑で黙々と作業をしていて不思議な感覚になったので、どうしてもこれを書きたいと思いました。

今、夜中なのですがやっぱり忘れないうちに自分のためにも書いておこうと思いブログ記事を書いています。

今年は早春から計画的に野菜を作ろうと畑作業をしてきました。

毎年、ほとんど落ち着いてできないのですが(だいたい毎年この時期はアメリカに行っています)。

今年はちょっと予定が立てられなかったので、畑の野菜の栽培をやろうとオーガニックや固定種の種を買い揃え、種から育てて苗作りをしました。

昨年、オレゴン州のポートランドで見たオーガニックの畑の脇に小さな苗作りのポットがたくさんあって、小さなレタスの芽とか色々ありました。

きちんと手入れされた畑はまるでお庭のように美しく野菜たちも綺麗でした。その新鮮なオーガニックの野菜を使って料理をするというポートランドでも有名なシェフのいるお店でした。
(オレゴン州ポートランドのオーガニックの畑)

お店と言っても行ってびっくり!畑の脇にあるただの屋根のところで料理を取って、ピクニックベンチみたいなところで芝生の上で食べるというスタイルでした。

(シェフのスティシーさん)

それで今年は種から可愛がって育てようと準備しました。あ、そういえば今までも種から育てていて苗は買っていなかったんだ〜。

アナスタシアの教えてくれている方法で作りましたが、ほんと手がかかるのと時間がかかるのでとても大変でたくさんの種類は植えられないなぁ、、、と手間取る自分にとほほ、、、、な気分。

それでも小さな種から芽を出してくれると嬉しくて嬉しくて、毎日朝起きると「おはよ〜」って真っ先に声をかけて苗たちを一通り見てから朝の準備をする毎日。

寒いし天候がよくないのでビニールをかけたり、ダンボールに入れて温めたり。

同じ種でも置き場所によってとか、日当たりによって全然生育が違うのです。そんなことを毎日観察しながら芽が成長していくのを楽しみにという、もうワクワクしながらまるで子猫ちゃんが家に初めてきたかのようにかまっていました。

鶴居村で借りている畑は実はとても広くて、、、、、機械とかある本職の農家さんなら別でしょうが手作業で全部やるにはとても広いし、毎日行けるほど近くないので(往復70km)たまにいくと雑草がすごい。
(種を植える前の畑)

しかし、雑草も何が出るのだろう?これはなんという名前だろう?これの薬効はあるのだろうか?など調べながら見ているととても楽しいのです。

最近、エドガー・ケイシーの本を読見返したりケイシーの浄化の方法を試したりしているので、オオバコとか見るとこんな新鮮で美しいオオバコで軟膏作るといいだろうな〜とか。

邪魔者にされている雑草が実は食べられる野草だとわかり、実際に食べてみたり、、、興味関心はつきません。

いやいや、、、畑から学んだり感動したりしたことを書いていると終わりがないほどです。

今日、まだ植えていない野菜の種とか苗があってもう満月も過ぎているし、予定位通りいっていないから早く植えたいな、、、と思って出かける準備をしていました。

で、ようやく準備ができたので車で出発しようとしたら小雨が急に降ってきました。天気予報を見るとこの後はずっと雨でアメダスを見ると濃い雨雲が、、、、。

あ〜ん、もう〜と思いながらでも行かなきゃなぁ〜とか、もう時間ないしな〜とか、あれもこれもやらなきゃ、、、って思いながらでもこれからすごい雨になるのにどうしよう、、、ってずっと迷っていました。

気温16度だし雨にずっと打たれていたら風邪ひくかもしれないし、、とか悶々としていたら車の中で30分も経っていました。

もうやだ、今日は辞めようと別な用事をしようと出発したら「やっぱり雨でも出来るところまでやろう。」と思い直して出掛けました。

そこから片道35キロ走って畑に到着し、小雨の中でビーツの苗を植えたり、ブロッコリーの苗を植えたり、カブ、雪化粧かぼちゃ、人参、だだちゃ豆、カリフラワー、インゲン、バジル、レモンバーム、ケール、ディルとか蒔きました。

前に植えたケールの苗は雑草に埋もれて日が当たらなくてヒョロヒョロ、、、、。多分去年のこぼれ種で育っているケールは大きくて立派。

雑草を採ったりしながらいろんなことを考えました。

畑の周りにはたくさんの野草や山菜があります。春からウド、フキ、行者ニンニク、ミツバ、チャイブ(小ねぎ)、ヨモギ、ダンディライオン、ホーステールなどなどあるのです。

(ミツバとヨモギ)

それも取りきれないほどたくさんあるし、今はウドの大木の森になっています。ミツバもあっちこっちに群生しているのでもうすごい、、、、。スーパーでヒョロヒョロの水耕栽培のミツバが198円とかで売っているのを見るとびっくりするほど。

でね、考えるわけです。

どうして何だろう? 山菜や野草はあんなに元気に毎年たくさん出てくるのに畑に植える種とか苗は失敗るすんだろう?

あんなに手間暇かけて情熱を燃やして、時間もかけて、腰も痛めて(苦笑)鍼治療に通い、しかも種をお取り寄せしてお金も相当かけて、労力半端なく掛けて、、、、。

なのに失敗したりしてまともに作物が育たない。もちろん天候のせいもあるし、土地にあっていないものもあると思う。

でもでも、、、、野草たちはメチャメチャ元気なのです。もう太く、強く、逞しく、活き活きと凛としています。何でやねんっ!!とツッコミを入れたくなるほどです。

だから自然ってすごいんだ、、、って改めて思うのです。

神様が私たちが食べていけるように最初から用意してくれているのです。

きっと大昔は自然のものだけ食べていて良かったんだと思うのです。だって人間って生きる為に食べるけど、食べる為に働いているのだから。

今は電子レンジがあったり、レトルトが売っていたり、コンビニがあったりして昔より便利なように錯覚しているけど違うんじゃないかって思うのです。

だって電子レンジやレトルトやインスタントやお惣菜や、、、、そういう食べ物を買って食べる為に長時間、別な形で働いているのです。過労死しそうになりながら。

だから本当は美味しい健康にいい、季節にあったものを食べる為に人は労働して食べ物を得ていたはずなのですが。

今の時代はみんな生きる為に働かなければ食べ物が手に入らないというライフスタイルなのです。

本当は自然があれば食べ物は無尽に合って人々はそんなに働かなくてものんびり生きられたように思います。

だって手を伸ばせば身の回りにいくらでも季節の旬の食べ物があるんですよ。森にはイノシシとか鹿とかキジとかたくさんいて、海には魚の背中が海辺を覆い尽くすほどの魚で溢れていたのですから。

岩場を歩けば貝や海藻がいくらでもあって、浜辺を掘ればアサリとかいくらでも獲れて。湖や川にはたくさんの魚がいてピョンピョン跳ねているから苦労しなくても獲れた。

だからたくさん採っておいて貯めとかないと大変ということは無かったと思う。

だって家の周りにはいくらでも食べ物があるのだから備蓄する必要なんて無いし、せいぜい冬の準備くらい。

冬は雪が降っていたら動物は獲りやすいし。

だから現代のような機械文明ではなく、自然と調和した時代、例えば縄文時代とかだと森がたくさんあったから食べ物には困らなかったと思うのです。

北海道の近海はそれでもまだ魚がよく獲れるのは豊かな森や自然が残っているから。

そして知床半島の近海もとても豊かな漁場なのですが、それはロシアのシベリアを流れるアムール川がシベリアの大地の豊かな森の栄養分を運んでくるからだそうです。

だから海の生物も森によって支えられているのです。

で、わざわざ鮭とかシシャモは川を遡上して湖とか上流の川や湿地に戻って卵を生むのですが、産んだらそこで命が尽きます。

その自分の体が森の動物たち、熊やキツネ、鷲などの餌となり、彼らのフンや食べ残しが大地の養分となり森や大地に還元されます。
(子育て中のキタキツネのママ)

そういう大きな地球の循環の中で生命の輪が脈々と繋がってきたわけです。

だから自然の循環システムってすごいなぁ、、、と改めて思いながら作業をしていました。

今回、結構移植した苗が上手く育っていないなぁ、、、、という経験をしながら雑草たちを横目で見ていました(笑)

「現代人、アホだなぁ、、、、」と野草や森の木たちは思っているんだろうなぁ、、、、って。

「そんな無駄なことしなくてもいいのに、、、、」って思っているんだろうなぁ、、、って。

(私のお友だちのマザーツリー)

きっと野草や森の木たちは古代からの叡智をそのまま受け継いで生きているのだろうなぁ〜って感じるわけです。

どんな時に目を覚まし、どうやって芽を吹かせ、どうやって成長し、どうやって実を結び、サバイバルして種を残していくかってことを”意識”しているんだと思うのです。

どうやったら受粉の為に虫を呼べるかとかね、みんな知っている。

人間も自然と調和して、自然の声に耳を傾けていたらきっと大切なことは全てわかるのだろうな、、、と思うのです。

人間が生まれてきて生きていく目的って究極のところ「ただ生きる」ってことだけですからね。

そんなことを思いながら一人黙々と作業をしていました。

雨は次第に強くなって結構な降りになっていました。私はレインウェアを持っているのに、なぜか着ないでシャツのまま雨に当たっていました。

頭や肩、背中に雨粒が落ちて着て、その雫で濡れるのです。全身が雨に濡れていく感じで、、、、、

それでも気にせず黙々と作業をし続けていました。

段々と薄暗くなってきたのでもうこの辺りでやめておこう、、、と片付け手を洗いに行って初めて自分が泥だらけになっていることに気づきました。

手が泥だらけだとは思っていましたが先日新しく買ったエプロンも泥で真っ黒でした。

レインブーツもパンツも泥だらけ、、、、。そしてなんとシャツの両袖が泥で真っ黒に塗りつぶされたようになっていました。

私はその塗りつぶされているくらいのすごい泥を見て、、、、、初めて気がつきました。

あ、、、私、泥だらけなんだ、、、、、こんなに泥だらけになったのって一体どのくらい前だろう?一体何十年ぶりなんだろう?って。

覚えていないのです。そんなに泥だらけになったの。

大学時代は部活でよく山に行ったりキャンプをしたりしたけどここまで泥だらけになっただろうか?って、、、、。

シャツの袖やエプロンの前面が泥で真っ黒なのを見て、私はなぜかとても新鮮な気持ちになったんです。

新鮮な感覚、、、、というか、今思うと”神聖な感覚”だったのかも知れない。

畑の土の中に苗を植える時「元気に育ってね〜。」って言って植える。
(育ってきたメロンの苗)

種を蒔く時は「芽を出してね〜。頑張って生まれて来てね〜。」って声をかけながら蒔くの。

全てが終わったらいつも畑に向かって「今日もありがとう。元気に育つように守ってくださいね〜。」って。

今日、泥だらけになっている自分に気がついた時、、、、まるで私も土になったような感覚だったのね。

地球と一体になって、地球の一部になって、母なる大地、母なる地球と一緒に戯れたというか、、、、。

泥だらけになるなんて今までの記憶になかった(天気のいい日にやると土は付きますが泥だらけにはならない)

雨粒で濡れた身体は、なぜかとても心地よくて、、、、天からポツポツと降ってくる水が身体に一粒ずつ当たる感覚、、、、。

ポツ、ポツ、ポツ、ポツ、、、、、トン、トン、トン、トン、、、、って指で叩かれているような。

「ちょっと、ちょっと、こっちよ、気づいて」みたいな。

雨で濡れるといつも嫌だなぁ、、、って思っていたのに今日はとても心地良かった。

雨降っているから今日はやめておこう、、、、って思ったのに、こんな新鮮で心地良いなんて思ってもみませんでした。

雨の日も泥まみれもどれも全てが素敵だと思う。
(雨の中でも美しい丹頂)

畑で土や植物たちと向き合っていると、それは瞑想しているような深い感覚になり、地球としっかりと繋がっている感覚になるのです。

そして多くの気づきが得られ、癒されます。自然と共にいると自分の中心に戻っていく感じです。

人間が生きていく為に食べ物を得ることと自然が用意してくれている食べ物について色々考えさせられた一日でした。