生きる意味と自由に生きるために必要なこと
こんにちは。天海 和美です。
先日、アイヌの古老が私を指して「この人は怖いものが無いから自由なんだよ。」って何人かの親しい人の集まりで言われました。
みんな本当はやりたくてもできなくて、だらだらとやりたく無いことをせざるを得ないと。
で、私がやりたいことを自由にやって生きているのは「怖いものが無いから自由だと。」でその理由なんですけど。
アイヌの古老は「わみは失うものが無いんだ。だから怖れがない。失うことを怖れていないから自由に生きられるんだ。」と他の人たちに言っていました。
確かに、、、、と私は思いました。失うことは怖れていないし、何かが起きたとしてもそれは失うことにはならないと思うからです。
例えば地震や台風で家が壊れたり、車が無くなったりしても特に怖れない。あ、形が変わったんだと思うだけです。
それは私にとって必要が無くなったので壊れたのだと。だからと言って失うということとは違う。
そうそう、仕事もお金も失ったことがありました。家庭もね。明日からどうしよう、、、みたいな状況に陥る。
その時は考えたり落ち込んだりする余裕が無くて(笑)
とにかく必死で生きることしかできないのです。その結果、私が「生きる力を得た。」
生きる力を得たことで解放され自由になり、それまで以上の豊かさと喜びを得ました。そして本当の意味での愛を体験することになりました。
だから何かを失うように見えて形を変えるだけだと思います。
じゃぁ命を失ったら?と聞くかもしれません。
でも、それはこの地球上での肉体を失うだけで私の魂がなくなるわけでは無くて。
もし、死んだとしたらそれはきっと神様がもう私の役割は終わったよ。もう充分だよっていうことなんだな、、、と思うわけです。
やっと「神の国に帰れる」と思うわけです。多分ね。
アイヌの人たちは死ぬということは魂が「神の国」に帰るから良かったね〜って送り出してあげるのが普通だそうです。
深い悲しみでも絶望でも無い。「お疲れさまぁー。」って送り出してあげられたら良いですよね。だったそれがその人と神様との約束をだったら。
それでホッとするんじゃないかとも思う。「あ〜あ、これで役割卒業だ〜!」って。
私が恐れるものが無いというのは多分生きていることのスピリチュアルな意味を理解しているからだと思う。
自分の魂の道をね、正直に生きているとただ生かされていることに幸せを感じるわけです。
私がこの世界で生きている意味は。
何も特別なことはないけれど。
ただこの地球の大地に足をつけ、ただ立っているだけ。
天を仰ぎ、光を受け取り、ただそこに立っているだけ。
私は特別なことをするわけでは無く、ただ自分の魂に正直に生きるだけ。
自分の魂の光を隠すことをせず、ただありのままに生きるだけ。
それは私の内なる光と共に一つになり、ただそこに在ること。
この世界を愛で包むには、特別なことをするのでは無く、ただ私が愛に生きるだけ。
魂に差し込む光と一つになって、ただ愛すること。
何も足さず、何も不足せず、ただそこに在って生きること。
いつも光と共にあるから。
そう本当にそう思います。
あなたにもたくさんの愛と喜びと豊かさが届きますように。