頑張って我慢しているのはどうしてですか?
こんにちは。天海 和美です。
毎日一生懸命、頑張って生きている方々のために役立つことを考えています。
このところ毎日寝る前にいろんなひらめきがあって只今、自分で試しているところです。
それって私に「それをしなさい。」と気づかされているように思えます。
大体、私が何かに気づいたり、ふと思い立つことって「導かれている」と感じることが多いです。
ふと目に止まったCDを聴いてみるとそこからメッセージが流れてきたり。
でも、そんなところにこのCDあったかしら?どうしてここにあるんだろう?ということが多いです。
後は本棚にある本に急に目に泊まり読んでみたくなる。
そうするとそこに必要なことが書かれていたりするのです。
なのでそういうことが良く起こる時は素直にそれを受け取ります。
今はやや差し迫ったことがあるので、あと数日したらそれを創ることが出来そうです。
私は先週から東京にいるのですが。
東京で生きている人たちは大変そうだな、、、とつくづく感じます。
いろんな意味で。
人が多くてエキサイティングな面もあるし、華やかな面もあるし、一見何でもあって
素晴らしいところのように思える。
でも、生きる上で本当に必要なものは無い。
それを犠牲にした上で成り立っていると思う。
チャクラも閉じて、我慢して生きている人が多いと。
でも、そうしなければいけないと思っている。
それが大好きでやっていることなら良いけど。
お金のために自分を殺してやり続けているとしたら。
やっぱり破たんするのは時間の問題です。
人間の肉体も心もエネルギーもいろんなものから影響を受けますからね。
頑張り屋さんで我慢強い、優しい人ほど危ないので。
なぜなら自分ではそれほど我慢しているとか限界だとか気づかないから。
いろいろなストレスマネージメント法がありますが、そんなことをしても
姑息的なので。
原因となっていることから逃げずに癒すしかないのです。
口中に虫歯があってすごく痛いから鎮痛剤を飲み続け、そのうちそのうち効かなくなる。
そして鎮痛剤で誤魔化していても虫歯が治るわけではないのです。
だからやっぱり誤魔化さずに原因である虫歯を治せば痛まずに元気に過ごせるのです。
多くの人が虫歯に気づかず、甘い物を食べ続け痛みに耐えられず強い鎮痛剤を飲み続けているように見えます。
癒されないとね、、、、本来の自分として生きられないのです。
魂の目的も見つけられないし、それを生きられないのです。
だから「癒し」は「浄化」でもあるし「願いを叶える」ための1歩でもあります。
最初の1歩を踏み出せば、後はスムーズに行くんですけどね。