運命のソウルメイトに出会う
こんにちは。天海 和美です。
あなたが変わればあなたに相応しいソウルメイトが現れます。
それは男か女かは関係無く、あなたのエネルギーの周波数に合った出会うべき運命の人です。
今日はソウルメイトを引き寄せるために必要なことについて。
このオーロラの写真がなぜかここ数日頻繁に現れるのです。
そしてこの写真を撮った時がこれから始まる奇跡の最初の1歩だったことに今日、気づきました。
これは2014年3月初旬に北極圏の人口30人の村で見たオーロラです。この日は満月でした。
そして私はここで私の人生を変える奇跡の出会いをしました。
その村にはロッジが1軒だけあります。そこで私はとても美しいエネルギーの女性を見ました。
彼女は愛に溢れていたので、遠くから見ていても彼女のエネルギーの美しさは他の人と違っていました。
彼女の名前はビクトリア。初めて互いに自己紹介し合った時、私は彼女の目を見て「こんな美しい瞳をした人、アメリカ人で初めてみた、、、」と思いました。
そのブルーの瞳は私が見たこともない色で、髪の毛はショートカットでしたがブロンドで飾り気が無いけど輝いていました。そして若草色の帽子に綺麗なビーズが付いていたのが印象的でした。
夕食の時、私たちは一緒に食事をしましたが、同じテーブルに超おしゃべりなインド系アメリカ人A氏がいて、私はビクトリアとあまり話す時間はありませんでした。
彼女はご主人や周りの人たちにいつも気配りをしていて、とても優しく美しく気の利く、そしてエレガントな女性でした。
深夜23時に私たちはオーロラを見るために車で少し遠くの湖まで送迎してもらいました。
私はオーロラの出る時はすごい真剣モードなので他の人たちとは離れて一人で写真を撮ることに集中していました。その日は美しいオーロラが出ていて満月でしたが、もうロッジに戻らなければならない時間になりました。
そしてその夜は北極圏滞在の最終日でした。
オーロラを見ていた人々の中にはビクトリアはいませんでした。あれ?一緒に来たのに、、どうしたのかな~?と思っていたら「もうだいぶ前に帰った」とガイドが言いました。
あんなに楽しみにしていたのに帰ったんだ~~と思いました。私はビクトリアと2人だけで話したかったので残念でした。
翌朝、ロッジの食堂(レストランというよりも西部劇の食堂って感じ)に行くとビクトリアはいませんでした。あ、、、会えずに私は帰るのか、、、とがっかりしていたら、彼女が眠そうにやってきました。
昨日まであんなに明るくてみんなに気を使って笑顔を振りまいていたのに、今日は一人で遠くに離れてひたすら何かしていました。一人でいたい感じだったので、そばに行きませんでした。
私は出発の時間が迫っていました。
ビクトリアは頭はぼさぼさで化粧もしていなくて、それで他の人たちから離れて必死に編み物をしていました。
その時、ご主人がコップに入っていたコーヒーをテーブルに派手にこぼしてしまいました。私は慌ててナプキンを持って拭きに行ったら、ビクトリアはそのまま立ち去り別の椅子に移り、編み物を続けていました。
私は彼女ともっと話したかったな、、、せめて連絡先を聞きたかったな、、、と心残りに思っていましたが仕方ありませんでした。
私がもう出発するという直前にビクトリアが私のところに走って来ました。
彼女は「これ!あなたに、、、、」って言って、さっきまで編んでいたニットを私に差し出しました。
彼女はずっと私に渡すために毛糸でマフラーを編んでくれていたんです。
それは彼女の帽子と同じ若草色のマフラーでした。きっと彼女は帽子とお揃いにするはずだったと思うのですが。
私はそれを受け取って、、、言葉にならず、、、なんとお礼を言って良いのか思い浮かびませんでした。そのくらい驚きと感動でした。
名残惜しかったのですが私は小さなセスナ機(8人乗り位の)に乗りました。
彼女と名刺交換だけして後で連絡とりましょうと。
彼女はおそらくオーロラも最後まで見ずにロッジに帰り、そのマフラーを編んでいたんだと思います。とっても長いマフラーですから。きっと徹夜をして朝まで編んでいて、それでも出来なくて焦っていたのでしょう。
そしてそのマフラーは「命の泉のように」私を癒してくれました。本当に不思議なマフラーでした。
帰国してほどなくしてビクトリアからメールが来ました。「あの北極圏に行ったのはあなたに会うためだったと感じた」と、、、。そして「あなたに会って、変わった。」と言われました。
私は何もしていないし、時間も無かったし、2人で話すことも無かったし、まして英語、、、、。
それ以前に時間がありませんでした。
でも、彼女と自己紹介した時に心の奥底でピンと何かを感じたのは事実でした。
実はこのメールを受け取った4月の中頃に私は病院に入院していました。しかも、かなり酷い状況で救急車で運ばれて。
10日ほど入院していたんです(この話はまた後日)
返信メールに「あなたのマフラーをお腹に当てていると痛みが無くなるの!痛み止めより効くの。」って送ったら彼女はそのマフラーを編む時にヒーリングのエネルギーを入れながら編んだとその後メールがきました。
私はそれを感じていました。だって彼女の編んだマフラーを当てていると安らぐし、痛みも治まるんです。寝る時はいつも枕元です。今も、、、。
私が入院中、ビクトリアは毎日ご主人と私の為にエネルギーを送ってくれていました。
彼女は本当に深い愛を持っている人でした。
こうして私と彼女の奇跡のような出会いと言葉を超えて通じ合う何かがありました。
私は彼女からメールをもらう度に、、、、涙が出るんです。他愛の無いことでも。不思議です。
そして彼女との交流が始まったのです。
彼女との出会いは私の人生を変えました。
それは生きているうちにこんな人に出会えるなんて信じられない、、、という思い。
こんな人に地球で今世、出会えてなんて幸せなんだろう、、、、と。心底感じました。人生の中で最も。
(ビクトリアと私、オレゴンにて)
さっき、ある方のブログで仏陀の言葉が出ていました。辿っていくと、、、、
「お釈迦さんがサッカラという村にいた時のことです。
弟子のアーナンダさんがお釈迦さんにこのように言いました。
「師よ。仏法を学び、そして共に仏の道を歩む。
このような善き友がいるということは、
修行の既に半ばを達成できたに等しいと私は思うのですが、
いかがでしょうか?」
それを聞いてお釈迦さんはこのように応えました。
「そうではありません。
そんなことをいうものじゃありませんよ。アーナンダ」
(しまった。修行の道はそんな簡単なものではないか……)
とアーナンダさんは一瞬頭によぎりました。
しかし続けざまにお釈迦さんこのように言いました。
「善き友がいることは修行の半ばではなく、その全てなのですよ」
予想外の答えに唖然としたアーナンダさんに
お釈迦さんは更に続けてこう言いました。
『アーナンダ。それはこのことからもわかるでしょう?
皆が私を善き友とすることによって、仏の教えを学び、
そして共に仏の道を歩んでいるということからも。
ですから善き友を持ち、善き仲間がいるということは、
修行の全てであると知りなさい』」引用ここまで
私のアラスカの旅は私自身が変わりたい!という半ば修行のようなものでした。(世界中で最も過酷な場所だと思っていたので)その極めつけの北極圏の道路も無い飛行機でしか行けない村でビクトリアと出会いました。
本当は3日間の予定でしたがなぜか5日間に延長し、最終日に出会ったのです。(3泊で24万円超)
もし、あの時ケチって延泊しなかったら私はビクトリアと会えなかったでしょう。
私は自分にとっての最善を選択したのだと思います。ハートの声に従って。
だから私はビクトリアという善き友を得たということは私の人生の修行のすべてなのだと思います。
私のエネルギーが変換されたことによってそれに必要な周波数の人たちと引き合って出会っているのだと思います。
そう思うだけで感謝でいっぱいで涙が出てきます。
人は必ず進化します。それは宇宙の法則だから。
ずっとそのまま停滞していたいと思ってもそれはできません。だって宇宙の法則だから。
早かれ遅かれそれは進化せざるを得ないのです。真実を生きるしかありません。
それたらまた元に戻る、、、、。
でも、その進化の道を自らが選択し乗り越えて行こうとする時、奇跡が起こり始めます。
誰も一人ぼっちじゃないし、助けてくれる存在達がいます。
あなたが求める時、そこに変化が起き始めます。
人生は旅です。そして私たちは永遠に進化し続ける宇宙の旅人。
どうせならモタモタせずに楽しんで進化しましょう。
あなたが変われば、それに相応しいソウルメイトと出会うようになります。
そしてその出会いは男であれ女であれ、あなたの人生を豊かにしてくれます。
生きていることにますます感謝できますし、相手が生まれてきてくれたことにも感謝できます。
それでは幸運を祈ります。