東日本大震災が与えた意識変容

こんにちは。天海 和美です。

2016年3月11日はあの東日本大震災から5年目になりました。

日本人にとってはこれほど大きな衝撃は無かったと思うほど心に刻み込まれました。

私の人生も大きく転換しました。あの大震災がなければ今のライフスタイルは無かったと断言できます。

私はヒーリングオフィスを神奈川県の湘南海岸のオーシャンフロントと東京・町田に持っていたのですが、震災をきっかけに北海道に移転しました。

どうして北海道?と訊かれますが。その時、人間が生きるために必要なものはすべて自然の中にあると悟りました。そして東京には無いと。

震災から3週間ほどして私は娘と阿寒湖に行きました。4月だというのにまだ雪がたくさん残っていて。

森の中は雪に覆われていたのですが、それでも少し暖かくなっていたので雪が解けて小さな水の流れができて、それが集まって小さな流れになり、川に合流して流れていくのを見ました。
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その時「あぁ、、、こうやって水は出来ていたんだ。雪や雨が降ってそれが土に染み込んで森の木々がそれを保水して、少しづつ流していくことで川が流れる。

私たちは下流でその水を取水して飲んでいる。

水はこうして雨や雪で作られ山や森によって守られている。

私たちが生きるのに必要なものはすべて自然の中にあるんだと。

空気も水も食べ物も水や土や太陽から作られる。

私たちは自然の力によって生かされているんだ、、、、そうわかった時。

これからは自然の中で調和して生きていきたいと思いました。

東京ではスーパーから食料品が消え、ペットボトルの水も買えませんでした。

食べ物も作っていなくて消費するだけ。何かあったら生きていけない場所なんだと思いました。

そして生きるための食べ物は地方の農漁村、あるいは外国で作られていると。

それでオフィスはすぐに移転。娘がまだ大学生だったのでしばらく東京の自宅はそのままにしようと。

震災直後はわからなかったのですが、拠点を北海道にして仕事で東京と行き来するという決断をしてから私の制限は外れ、可能性が広がりました。

出来ないこととか、無理だと思う事を1度越えると後は楽にできるようになるものです。

小さい頃、頑張った逆上がりとか自転車乗りとか跳び箱みたいに。

今は海外での活動が1年の内3ヶ月半位。残り8ヶ月半を北海道と東京で。

2拠点から3拠点になった感じです。それも自然な流れですね。

あの大震災をきっかけに生活はまったく変わりましたが、前よりも楽しくなりました。

それは「死」というものがとてもリアルになったからだと思います。

いつ死ぬかわからないんだということが、精一杯生きるという感覚をより一層鮮やかにしてくれました。

そして「何のために生きるのか?」ということがよりはっきりしてきたからだと思います。

時間はどのくらいあるのか誰だってわからない。

だから迷わず思いっきり生きようと。

そしたらほら、、、いろんなことをやってみたくなるでしょ?

どうせ死ぬんだからと思うと怖れ無くなる。

あの震災で失ったものも多かったけど、得たものも大きいと思います。

人と人との繋がりが増したり、優しくなった気がします。

そして人々の意識は変わり、目覚めた人たちが多くなった気がします。

北海道にいると震災をきっかけに移住しましたという人たちにたくさん出会います。

そんなにみんな移住したのね、、、、と驚くほど毎日のように出会うのです。

多くの人たちは原発の問題に対して意識が高く、自然派になった人たちが多いです。

あの震災は私たち人間に大きな意識変革の揺さぶりをかけたと思います。

天災や大きな出来事が無くても日々、進化していきたいものだと思います。