高野山空海〜カムイの音霊・浄化と解放の旅

こんにちは。天海和美です。

11月20日高野山周辺の震源地の地震、22日福島沖地震、そして高野山から札幌でのアイヌの1万年平和の祈りコンサートへの不思議な繫り。

この7日間がすべてとても重要な意味を持って繋がっていました。それは過ぎてみて初めてわかることでした。

今日はその不思議な7日間の意味と繋がりについて書いてみたいと思います。

11月21日東京から関西国際空港を経由し高野山に着きました。とても遠かったです。

高野山の宿坊に宿泊した時、初日のお部屋にアイヌの木彫りのニポポ像が。

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しかも丸木舟に乗ったニポポ像の横にはマリモが!!マリモとなると阿寒湖しかないのです。

しかも丸木舟に乗っているって、、、そんなに多いデザインでは無くて。

不思議なご縁だな、、、、と思いました。だって高野山の宿坊にアイヌのニポポ像でその直後、札幌で行われるアイヌのコンサートは”MOSHIRI”は丸木舟という民宿をやっています。

阿寒湖のアイヌコタンに丸木舟という食堂とお土産のお店、屈斜路湖に民宿というのですから。

ますます偶然とは思えない感じでした。

その時、高野山とアイヌの一万年平和の知恵コンサートは繋がっているのかなぁ。。。。?とぼんやりと感じていました。

今回の高野山と札幌のツピリチュアルツアー&アイヌコンサートは私にとって浄化の嵐と共に厳しい旅になりました。

高野山に出発する3日前に母から夕方電話が掛かって来て「私はガンに違いないから、明日すぐに帰ってきて。」といきなり言われました。

え?明日って急に言われても、、、、私は混乱しました。

1ヶ月以上セッションをお待たせしているクライアントさんたちやアロマのスピリチュアルセミナーもあってその翌日から高野山〜札幌〜鶴居村ツアーと続いていました。

「明日は急に帰れない。」と告げると母はパニックになって「私の命が掛かっているのよ!なのに帰れないっていうのっ!!」って半ば半狂乱状態。

どうしちゃったのかと、、、、驚きでしたが、相手が逆上すると自分は逆に冷静になる、、、、。

母にどういう経過なのか?状況を説明してくれるように静かに話しました。

すると母は夕方になって下血が少しあってパニックになって、もう自分は死ぬんだ!と思い込んですぐに私に電話してきたのです。

とにかく帰って来いと。

聞くと病院に行って診察受けたわけでも無く、検査してもいないし、下血以外は他に何も症状もないのに、、、、。

すべては私が帰って、母を連れて病院に付き添っていくべき。自分に何か起きたに違いないからすべては娘の私がやるべきというのが母の主張でした。

私は混乱しました。私だったら自分で病院に行って診断がついてはっきりしてから家族に話す、、、、。

母はバリバリ元気で1週間前にトヨタの新車を買ったばかりで別に歩けないとか倒れたというわけでもないのです。

なので私は母の半狂乱ぶりを見て逆に「ボケたのか?」と思うほどでした。

とにかく私は飛行機ですぐには帰れないし、精神的に追い詰められて大変な状況のクライアントさんを抱えているのでと説明しました。

そして母には落ち着いて明日病院に行くように話しました。(土曜日だったので空いているところを検索して連絡しました)

そんなこんなで出発前から大波乱の浄化の旅となったのです。

毎日、母にメールしてもほとんど返事も無く電話しても声が死んでいるし、、、、。

重い。

でも、私も自分の役割があるし、今回はイタリア人の参加者がこのスピリチュアルツアーのために来日しているのでそのお世話もあるし、、、。

なんとか日帰りでなら母のところにいけるかな、、、と連絡するも「そんなすぐ帰るなら来なくていい。」と拒否されるし、、、。

母は私がすべてのスケジュールをキャンセルして自分の元に駆けつけないのでいじけていました。

そういえば、、、いつも自己中な母に振り回されていたなぁ、、、って子どもの頃のことを思い出していました。

高野山に到着してその夜、アイヌのニポポ像のある部屋で私は自動書記のメッセージを受け取りました。

今、私たちは地球に対して何をするべきなのか?

今思えば、まさにアイヌ・MOSHIRIのコンサートの”共生と循環の思想「縄文」一万年平和の知恵”とほぼ同じでした。

その数時間後、福島沖地震が起きてしまいました。

東京にいる娘にすぐに連絡すると本当に長くひどい揺れだった、、、、東日本大震災の時を思い出した、、、、と言っていました。

私は朝、高野山の最も聖域である奥之院に出かける前に数時間前に受け取ったメッセージをブログに公開しました。

その日は高野山からの遠隔ヒーリングの日でした。私は娘や母にも遠隔ヒーリングをしました。

夕方になって娘から連絡がありお腹が痛くて救急外来にいる。虫垂炎にまたなったのでやっぱり手術になるかも知れないと。」

ここで私はまた大きなトラウマのエネルギーが押し寄せてきました。

私は21年前から地球環境保護活動を始めました。

娘がまだ幼稚園とか小学生の頃からです。活動の幅が段々と大ききなり、講演会や地域リーダー育成などで全国に行くようになり、それから国連の会議などでヨーロッパやアメリカ、アジア、南米にも行き、国連の世界サミットでアフリカにも行ったりしました。

私が海外の国際会議に行くと娘はよく熱を出したり病気になりました。一旦出かけると2週間は帰れませんでした。他のスタッフもいるし、私がいないと回らなかったし。

私はいつも罪悪感に苛まれていました。
地球や未来世代のためにやりたいことは沢山ある。

でも、私は母親としてどうなんだろう?これでいいのだろうか?って。

夫が切望するように毎日家にいて家族のためだけにご飯作って、専業主婦している方がいいんだろうか?

みんなのため、未来のために私がすることは本当に何か役に立つのだろうか?

私は世の中の役に立っているのだろうか?立っていないのだろうか?

家族のためにも役に立っていない私が地球のために何かできるなんて思い上がりだろうか?っていつも葛藤していました。(でも心の中でいつか必ずわかってもらえるはずだと祈っていました)

その時の哀しみ、無力感、罪悪感、自分は役に立っていないという思い、家族に迷惑をかけているという思い、自己嫌悪など色々なものがとぐろを巻いて押し寄せてきました。

今年になってからも娘から「お母さんは私が小さい頃、ずっと環境活動とか孤児の支援とかで家にいなかった。

私は他の子どもたちや地球のことなんてどうでもいいから私だけのお母さんでいて欲しかった。」と言われました。←私にとってかなりのダメージでした。

これは高野山での浄化の一つだと頭ではわかりつつも、本当に辛く苦しい感情が溢れてきて、、、、。

私はこの21年間ずっとずっとやってきたのに地球の状況は良くなっていなくて、あのころ崖っぷちに向かっている、、、、って思ってやってきたけど。

もう崖っぷちの最後の1ミリくらいのところに来ているんだ、、、と思いました。

やっぱり何の役にも立っていなかったんだ、、、、とか、また過去の(レムリアの)時みたいになるんだと思うと哀しみと虚しさで一杯になってしまいました。

私はその夜、部屋で一人で大泣きしました。襖ひとつで仕切られていて鍵もない質素な宿坊の部屋です。

隣の人の鼻をかむ音が聞こえてきたので私の大泣きする声は宿坊の端まで聞こえたかもしれません。(参加者の人とは遠く離れた棟でした)

でも我慢できませんでした。

私は理由のわからないたくさんの涙を流しました。

ブログをアップした翌日、たくさんの人たちに記事がシェアされて読まれていました。アップして3日間だけで3万件のアクセスがありました。

多くの方たちが共感してくださり、みなさんも同じように感じていた人たちがいたということに驚きました。

たくさんの方々からメッセージやfacebookの友だち申請やフォロワーになっていただきました。

しかし、1通だけセッションの申し込みフォームを通してメールが送られてきました。サタン(悪魔)からです。

「あんた一人が何かしたところで世の中が変わるはずがないんですよ。

地球が生きていて意識があるなんて嘘ですよ。地殻変動で地震は起きているんだから。」と書いてありました。

そう、どうして私がこれをサタンだとわかったか。

これは私の中にある闇からの声でもありました。私が希望を持って、粘り強く何かをしようとすると頭でささやくのです。

「どうせできっこないよ。やっても無駄だよ。お前一人がやってどうなるというのだ。

無理だよ。諦めろ。

お前の言うことなんて誰も信じないよ。みんな科学的って狭いことしか理解できないんだ。

お前がいくら言ったって誰も信じないし、行動を変えることなんてしないよ。

みんな麻痺しているからね。」って。

いつも私が諦めるように囁き、誘惑してきたのです。諦めてしまえば麻薬に浸かったように幻想の中で苦しまずに享楽的に生きられると。

だからサタンの声には耳を貸さない。

自分の中にロウソクのように残っている小さな灯火(ともしび)を信じて。

いつかその小さな灯火を持つ人たちが自分の内側にある真実の灯火に気づいてくれるはずだからと諦めずに待ち続けていました。

信じてきたという方が正しいかも知れない。

そしていつか再会することができるって。だからみんな、思い出してほしいって。

私は高野山にいる3泊4日間、ずっと祈り続けました。

私のこの想いを手放せるように、そして娘も母も回復し、健康を取り戻せるように。

祈り続けて2〜3日目から急に楽になりました。空海が「もう大丈夫だから安心しなさい。」と夢の中で言ってくださいました。

私は母に大丈夫だからって安心するようなメールをたくさん送り続けました。
娘には手術しないで薬で治すように言いました。切っちゃダメだよ。人間に不必要なものは何一つないのだからって。

この高野山も札幌のスピリチュアルツアー&コンサートも現地での参加者のみなさんや遠隔ヒーリングの参加者のみなさんもいました。

私はこの方たちが一緒に参加して下さらなかったらきっとすぐに母の言いなりになってこの大切な役割をキャンセルしていたと思います。

今回は本当にすごい役割と素晴らしい覚醒のためのヒーリングを受けることができました(参加者の方たちと共に)

これはみなさんが私に共感して、一緒に参加してくださったからです。本当に感謝でいっぱいです。

私だけでは成し得なかったことをみなさんが一緒にこの役割に参加してくださったことで無事に完了できました。

本当に心から感謝です。

札幌でのスピリチュアルツアーとアイヌのコンサートの”共生と循環の思想「縄文」一万年平和の知恵”を終えて翌日千歳から飛行機で釧路に飛びました。

小さなプロペラ飛行機でした。離陸してすぐに雲に丸い彩雲が見えました。
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何枚か撮ったのですが私はそれが空海の横顔に見えたのです。

あ、、、やっぱり母はきっと大丈夫だわ、、、と感じ心が休まりました。娘も手術せずに済みました。

そして次の瞬間に丸い彩雲は大きな虹色の天使の翼に変わりました。

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これは私と今回この高野山、札幌スピリチュアルツアー&アイヌのコンサートに参加してくださったみなさまへの祝福のサインだと感じました。

私たちはいつも愛の世界に生きることができ、そして祝福されている。

一人一人が「神の子」、ハートの奥に小さな灯火(ともしび)を持っていることに気づく時に来ている。

私たちはいつも愛され、守られている。そう伝えてきてくださったのだ、、、と感じました。

長い長い浄化と解放の旅になりました。

みなさん、本当に有難うございました。

記事を読んで共感してくださり、シェアしてくださった皆様にも心より感謝いたします。

美しい愛に溢れた地球がずっとずっと続いていくことを祈って。

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