すべての人に愛が届きますように・それを地球で代行すること

こんにちは。天海和美です。

ここ数回、自然のこととか「森の子どもたちのマザーツリーになるプロジェクト」のこととかをブログに書いていて。

それを読んだ方からメールをいただいて、とても嬉しかったです。

今回のマザーツリーは「新しい植林」をするのではなくて、今まで植えた植林地の手入れ(草刈り)です。

いわば出産ではなくて「子育て」ですね(笑)掘っておいても無事に育つわけではないのです。

自然の生態系が崩れてしまったり、気候変動による影響もありますからね。

でもね、未来の森を想像しながらみんなで一緒に手入れをするのもとても楽しいのですよ。

といってもかなりの労力です。これは昨年秋(9月)に行った植林地の手入れです。

まずエンジン式の草刈機で草を刈り取ります。

草と言ってもほぼ木に近いです。普通の刃ではきれないです。男性たちでさえすごい力が入ります。

でもみんなで手分けして草を刈る人、それを集めて捨てる人と分業しました。

眺めているとそうでもないのですが集めるとすごい量になります。トラック何台分かの。

集めたものはもちろん自然に返すようにしましたが。

終わった後はもっと山奥の鶴居村の水源地に行きました。ここで「次世代の木の子どもたち」を探しに行きました。

みんなで森の中に分け入って自然に種が落ちて成長している小さな木を見つけて採取しました。

ここは私有地で、このプロジェクトの協力者であるA氏が所有の山と水源地で行わせていただきました。

ここで採取した小さな木たちは植林地にはまだ小さな赤ちゃん過ぎて植えられないので何年かはポットで育てるしかないのです。

それならそのままほっておけば育つだろうと思うでしょ?それが全くダメなのです。

私たちが最初に植林したところは30年ほど前に森だったところを全部きをきって丸坊主にしてしまった為に熊笹しか育たなくなってしまいました。熊笹が覆って癒しているのだと思いますが30年経っても修復されていません。

その理由の一つがエゾシカで飛んできた種子がそこで成長しても全て食べ尽くすということがわかりました。

昨年、6月初めに北海道科学大学 名誉教授の岡村俊邦先生に現地に来てもらって全て調査しました。

あまりに酷い状況でしたので調査をお願いしました。実地で学ぶことはとても勉強になりました。

様々な対策について教えていただきました。それで周囲の自然の森の中から種を拾ってくることや小さな芽を見つけてくることを教えていただきました。もちろん鹿柵が重要なことも。

そんな訳でコロナ禍でもできるところで活動を続けてきました。

自然の中で過ごす時の癒される感覚と喜び。

これは言葉では言い表すことができないほどの深いものです。本当に息が肺の奥底まです〜っと入り、生きているという感覚にまず目覚めさせられます。

正直、釧路湿原や阿寒、摩周のこの道東の広大なエリアは世界基準ですごい場所だと感じるのです。

こんなすごい場所はやはり日本ではここだけなのです。まさに聖地です。

私は多くの人にここを訪れて欲しいと思いますし、ここに来ることで「本当の自然に目覚めて」自分自身を取り戻して欲しいと思っています。

今回、「森の子どもたちのマザーツリーになるプロジェクト」では新しい苗木は今回は植えません。その代わり「リトリート」ですと伝えました。今回参加される方たちにとってそれぞれのテーマがあるのです。

それが例え何歳であろうとまだクリアできていないものとか、幼少期に置いてきてしまったもの、封印してしまったもの。それがこれからの人生の転換点でとても重要な役割をするのです。

それらがこの2日間の特別な「リトリート」で解放されるのだと思いました。(え〜っ、過酷な草刈りで〜っ?!)

そうなんです(笑)すんご〜い、過酷な「草刈りリトリート」(笑)もう男性陣はビビっています(笑)

数日前の『奇跡のコース』の中に、
「キリストの再臨」が間も無くやってくるのを祈ってください。
しかし、それで安心しないでください。
それにはあなたの目と、耳、手、足が必要です。
それにはあなたの声が必要です。そして何よりまずあなたの意欲が必要です。
あなたが「神の意思」を行うことを喜びましょう。

というのがありました。それはまさに試金石なのでしょう。

この地球に愛をもたらすためにそれは必要だと。
諦めないことだと。
そしてこの道のりは簡単ではないけれど「神の意思」を私たちが地球で代行しているのだと思いました。

「キリストの再臨」とは肉体を持って目の前に現れることではなくて。

一人一人の内側で「目覚めること」を意味します。

私たちはこのプロジェクトを通して「それが起こる」のだと直感しました。

また素晴らしい奇跡の日々になりそうです。

全ての人に愛が届きますように。