地球の未来のために必要なこと・自然と魂の調和

こんにちは。天海 和美です。

一昨日はちょっと凹んでしまいました。嬉しくてすごい!と感激することが8割くらいあるのにたった一つのことで足元から崩れてしまったようにでした。

それが朝起きたことだったので一日中なんだかそれに足を引っ張られていた感じで重たいようなやる気が出ないような感じになってしまいました。

それは大学の授業の期末のレポートを学生さんたちが提出してくれたのでそれを読んでいた時のことなんですけどね。
 (大学での講義風景)

私は「持続可能な社会を未来のために何ができるか?」ということについて地球環境の現状と私たちにできることについて講義していました。

しかし学生さんの期末レポートを読んである学生さんの意見に対してとても残念だったからです。(でも度々社会でも同じようなことに出くわしますが)

それはある学生さんがこれからも原発は必要だと書いていたのです。

「原発は日本の経済、政治、環境に大きな貢献をしているのだから、、、、
今の日本があるのは原発のおかげなんだから、、、、
太陽光発電と組み合わせても良いけれど原発は必要、、、、
放射能のことを恐れる人がいるのもわかるけど原発のお陰で私たちは贅沢に電気を使って生活できてきたのだから原発に感謝すべきではないでしょうか?」という内容だった。

お恐らくこの学生さんの家族が原発関係者なのだと思いますが。その気持ちもわかります。しかしなんで原発に感謝しなきゃいけないのか?この場に及んで、、、、。

しかし、だからと言ってそれをそのままにすることもできません。私が総括のコメントをレポートしなくてはならないので悩みました。

どう書くか?ということよりも「経済優先で自分以外の他者が犠牲になっても自分の便利で快適な贅沢な生活は手放したくない。」ということに対してどう表現していったら良いのか?ということでした。

本人は原発は大事だし、必要だし、この電気のお陰でみんな電気使って生活しているじゃないかということです。原発のおかげで経済が潤っているのに辞めたら問題になると言うこと。

私はこのことに20年以上も前から取り組んできました。「あんたは原発が嫌だって言ったって自分だって使っているだろう!」っていう言葉です。

でも、私は原発で電気作って欲しいなんて頼んだことないし、それに関して払いきれないほどの費用をかけて作り、原発はクリーンエネルギーです、発電コストは安いです、再生可能なエネルギーです、

CO2を排出しません、太陽光よりもずっと安いです、原発は安全です!!ってずっと騙され続けてきたことの方が怒りです。

しかも核燃料は使用後使う前の1億倍にも放射能は増大し10万年間も安全に保管しなければならないなんて誰が責任を持って保管するんだ?

使用済み核燃料の処理方法も見つかっていなくて今は缶に入れて土に埋めているだけでしょ? 地震の後、その周囲から地下水が噴出しているでしょ?

今の日本列島の地形ができたのはわずか1万年ほど前で、それまでは大陸と地続きだったり島になっていなかったりするわけで。10万年後なんてどんな風に地球の上を動いているのかもわからない。

それを知らないで開けた未来人が現在の1億倍も放射能汚染しているその廃棄物を知らずに開けたらどうなるんだろう?そこから滲み出た水を飲んだ人たちはどうなるのだろう?

福島原発の処理費もどんどん値上がりして40兆円かかると試算されています。

一人当たり32万円で一家4人だとすると128万円がその費用に当たる計算になります。それは国民が負担して払うと言うおかしなカラクリになっています。

それでも今、電気を享受するために原発でなければ電気は発電できないのだろうか? 実際はもう自然エネルギーだけで充分足りていて電気は余っています。

北海道では太陽光発電だけで実は全部の使用をまかなえるそうです。

たくさん牛がいますからその牛の糞尿からバイオガスというエコ電気を発電することが可能で各地のそのプラントが建っています。

しかし北海道電力はバイオガスのプラントからは電気を買わない、送電線も使わせないと言いだしました。現在建設中のバイオガスプラントは暗礁に乗り上げています。

自然エネルギーでは電気を作らせたくなくて自分たちで原発を推進したいのです。なぜなら利権があるから。お金のためです。未来の地球のため子ども達のための視点ではありません。

どうしてそんなにお金が大事なのでしょうか? 本当に大切なものは犠牲にしてお金が最優先なのでしょうか? 生命や平和な世界を破壊してまでお金が優先でしょうか?

地球と調和しながら再生できるエネルギーにシフトするのは私たちの義務ではないでしょうか?

アメリカ先住民(インディアン)の言葉に

「私たちが生きていられるのは7世代前からの祖先が自然を残してくれたから。

だから私たちは7世代後の子孫のために自然を残さなければならない」というのがあります。

本当にそうなんです。私たちが資源を使って生きていられるのは祖先が残してくれた自然という遺産があったからです。
(大学での講義風景)

日本はかつて1万年も平和な世界が続いた縄文時代がありました。それは森と共生した循環型社会で持続可能な生き方でした。

自然の恵みに感謝しながら取りすぎず、次の年のことも考えながら必要な分だけいただく、そしてそれを無駄にしない、みんなで分かち合うという生き方でした。

自分たちに食べ物、着るもの、住むところを与えてくれている神々に感謝しながら必要な分だけ使い粗末にしない。大切にする。

森には神々が住んでいて必要なものを与えてくれる。人間は森から全てを与えられている。だから森を破壊してはいけない。

そうやって森と共生しながら生きてきました。

そういう生き方をみんなが選択したらこの地球は少しづつ再生するだろうし、人類は持続可能になると思う。

しかし、今のままではもう世界中で起きている大型台風、巨大地震、火山の噴火、大規模な山火事、集中豪雨、干ばつ、土砂崩れ、豪雪などという異常気象も避けられないだろう。

そうなると一番問題となるのは食料の問題です。日本の食料自給率は39%を切っている。100人中39人しか生き残れない。しかもそのうちの家畜の餌は95%が輸入に頼っているのです。

だから実際にはもっと日本の食料自給率は少ないです。輸入すればいいだろうって?

自国で飢えて食糧不足になっているのに他国に輸出する余裕なんてないのですよ。そうなったら日本中から食べ物が消えてしまう。

日本は借金だらけだし、教育費は削って軍事費にお金を注ぎ込んでいる政府です。国民の教育水準が低下したらモノ作りも国力をあげる知識も知恵も無くなります。

日本の若者が結婚しないから子どもを産まないから少子化なのではなくて結婚する経済力も子どもを養う経済力もどんどん低下しているから。

だから私たちは「拝金主義」から目覚めて人が本当に生きるために何が必要なのか? 何が大切なのかをちゃんと考えなければならないのです。

一人一人がね。そんなのわからないよ〜。考えたって出てこないという人がほとんどだと思います。

 (大学での講義風景)

その対策として今思いつくだけでも結構あります。

毎日、テレビを見るのに費やしている無駄な時間を減らす。その空いた時間で家族と対話したり、友人と会ったり、本を読んだり他のことができます。

それと最も大事なのはテレビは大衆を洗脳する機械だということを知っていた方がいいです。支配者にとって都合の良いことを垂れ流して考える力を人々から奪うのにもってこいですから。

そして空いている時間、休みの日はできるだけ自然の中に出かける。海へ行って波の音を聞いたりしても良いし、風が通り抜けていく感覚を感じても良いし。キラキラと光る波を見つめていても良いし。

または森に出かけて木々の中を歩いてその香りや風に触れても良いです。木々の枝から漏れてくる美しい光を通して魂を癒しても良いです。

あるいは滝の音を聞きながら水の美しさを感じたりオーラを浄化したりしても良いです(滝に打たれて修行するのではなくそこに1時間くらいいるだけで清められます。森の中もね)

または土いじりをしても良い。自分の家の庭で野菜を植えたりしても良いし、貸し農園を探しても良い。あるいは電車で離れていても畑を貸してくれるところを見つけて毎週休みの日だけ畑に通って野菜を作っても良い。

これは超お薦めです。忙しいから体が疲れているからそんなこと無理!!というのは逆で。畑で土に触って野菜と触れ合うことはどれだけ癒されるか。本当に体験してみてほしいです。

そして計画を立てて北海道の道東に来て丹頂をみたり、オオワシやエゾフクロウ、キタキツネ、エゾシカ、エゾタヌキなどに会ってみてください。

自分の魂が癒され、そして目覚めて来ます。北海道の自然は本当に美しいし心も体も魂も癒してくれます。

自分や家族の未来、幸せのためにもぜひ自然の中へ行ってその無条件の愛を感じ、受け取ってみてください。

大切なのは一人一人が「本当に大切なものは何か?」に気づくことであり「自分の魂の道に目覚めること」だと私は思います。

そして魂が目覚めた人は矛盾した生き方は出来なくなる。そして地球や自然と調和した生き方をしたくなるのです。

<追伸>ひとりごと

 何かに対して賛成派、反対派となっているうちは絶対に問題は解決しないし、相手を論破して打ち負かそうとしても何の意味もない。

対立は調和した愛の世界を作ることはないから。

だから賛成反対と言うことではなくて「愛の視点に立って”それは本当にどうなのか?”必要なことなのか?大切なことなのか?何のためにするのか?”」と言うことを考えていきたい。

と同時に他人のせいにしたり諦めたりすることよりも、まずは自分の行動を変えて、”より調和した世界”を自分で作っていきたいと思う。

多分私にはそうするしか今はできないと思うから。