奇跡は本当に起きる!魂の友に出会う時

こんにちは。天海 和美です。

今日は江島神社へ大祓祭に参列してきました。

台風のような猛烈な雨風の中、橋を渡り相模湾の荒れ狂う波を見ながら、、、、。

こんなにすごい雨風の中外を歩くなんて滅多にないなぁ、、、、これは大祓の前の浄化なのねーと思いながらずぶ濡れになって歩きました。

さて、先ほど五年前に書いた記事を見つけました。ちょうど夏至祭の後に起きた奇跡の出来事についてです。

そしてあれから五年か、、、、と思いながらリライトしてアップすることにしました。その後、、、って気になりますものね。
〜〜〜〜〜〜〜

今日は夏至でした。私は夏至祭で箱根・芦ノ湖に来ています。昨年は江の島でしたが今年は芦ノ湖でした。

今回はこの夏至祭で今日起こったこと、、、、私のことなのですがどうしてもシェアしたいので書くことにしました。

個人的なことですが奇跡のようでした。長いのでご興味がある方だけ読んでください。

遠隔で参加されている皆さんと共に私も自分の願い、祈りをしています。

個人的な願いはあまりないのですが。

実は大切な友人のために祈りたい(ヒーリングしたい)と思っていました。

彼女は最近とても重い病気だとわかり、このまま進行するとあと5年くらいの命だと宣告されたとメーで知りました。

彼女はとても優秀で素晴らしい方ですが年齢が60歳を過ぎているし、そんなに働ける年でも無いし、まして病気だとわかったらますます働けないのです。

そして追い打ちを掛けるようにご主人がリストラされることに、、、、。

彼女は自分の将来にとても不安を抱いていて絶望的になっていました。

彼女はアメリカ人なので保険も年金も日本の制度とは違って大変なようでした。(彼女の話を聞いて日本って案外恵まれているなと思いました)

彼女からメールをもらってからショックで数週間お返事を書くことができませんでした。

なんと言って良いかわからないし、日本にいてできることも無いし、英語でうまく表現できないし、何よりも彼女の病状のことがショックで言葉を掛けることができませんでした。

私は彼女のために毎日健康になることを祈り、遠隔でヒーリングのエネルギーを送るしかできませんでした。

彼女と私はアラスカの北極圏に村のロッジで出会いました。

とても美しいエネルギーの女性で愛に溢れていたので、遠くから見ていても彼女のエネルギーの美しさは他の人と違っていました。

彼女の名前はビクトリア。初めて互いに自己紹介し合った時、私は彼女の目を見て「こんな美しい瞳をした人、アメリカ人で初めてみた、、、」と思いました。

そのブルーの瞳は私が見たこともない色で、髪の毛はショートカットでしたがブロンドで飾り気が無いけど輝いていました。そして若草色の帽子に綺麗なビーズが付いていたのが印象的でした。

夕食の時、私たちは一緒に食事をしましたが同じテーブルの眉の太いA氏が超おしゃべりな男で私はビクトリアとあまり話す時間はありませんでした。

彼女はご主人や周りの人たちにいつも気配りをしていて、とても優しく美しく気の利く、そしてエレガントな女性でした。

深夜23時に私たちはオーロラを見るために車で少し遠くの湖まで送迎してもらいました。

私はオーロラの出る時はすごい真剣モードなので他の人たちとは離れて一人で写真を撮ることに集中していました。その日はそこそこオーロラが出ていましたが、もうロッジに戻らなければならない時間になりました。

その日は北極圏滞在の最終日でした。

オーロラ観察をしていた人々の中にはビクトリアはいませんでした。あれ?一緒に来たのに、、どうしたのかな~?と思っていたら「もうだいぶ前に帰った」とガイドが言いました。

あんなに楽しみにしていたのに帰ったんだ~~と思いました。私はビクトリアと2人だけで話したかったので残念でした。

翌朝、ロッジの食堂(レストランというよりも西部劇の食堂って感じ)に行くとビクトリアはいませんでした。あ、、、会えずに私は帰るのか、、、と思っていたら彼女がやってきました。

昨日まであんなに明るくてみんなに気を使って笑顔を振りまいていたのに、今日は一人で遠くに離れてひたすら何かしていました。一人でいたい感じだったので、そばに行きませんでした。

私は出発の時間が迫っていました。

ビクトリアは頭はぼさぼさで化粧もしていなくて、それで必死に編み物をしていました。

その時、ご主人がコップに入っていたコーヒーを派手にこぼしてしまいました。私は慌ててナプキンを持って拭きに行ったら、ビクトリアはそのまま立ち去り別の椅子に移り、編み物を続けていました。

私はビクトリアともっと話したかったな、、、せめて連絡先を聞きたかったな、、、と心残りに思っていましたが仕方ありませんでした。

私がもう出発するという直前にビクトリアは私のところに走って来ました。

彼女は「これ!あなたに、、、、」って言って、さっきまで編んでいたニットを私に差し出しました。

彼女はずっと私に渡すために毛糸でマフラーを編んでくれていたんです。

それは彼女の帽子と同じ若草色と黄色の混じったものでした。きっと彼女は帽子とお揃いにするはずだったと思うのですが。

私はそれを受け取って、、、言葉にならず、、、なんとお礼を言って良いのか思い浮かびませんでした。そのくらい驚きと感動でした。

ちゃんとお礼を伝えることも出来ず私は帰路の小さなセスナ機(8人乗り位の)に乗りました。

でも、彼女と名刺交換だけは出来ました。

彼女はおそらくオーロラも最後まで見ずにロッジに帰り、そのマフラーを編んでいたんだと思います。とっても長いマフラーですから。きっと徹夜をして朝まで編んでいて、それでも出来なくて焦っていたのでしょう。

そしてそのマフラーは「命の泉のように」癒してくれました。本当に不思議なマフラーでした。

帰国してほどなくしてビクトリアからメールが来ました。

「あの北極圏に行ったのはあなたに会うためだったと感じた」と、、、。そして「あなたに会って、変わった。」と言われました。

私は何もしていないし、時間も無かったし、2人で話すことも無かったし、まして英語、、、、。
それ以前に時間がありませんでした。

でも、彼女と自己紹介した時に心の奥底で何かを感じたのは事実でした。

私、実は4月の中頃に入院していました。しかも、かなり酷い状況で救急車で運ばれて。
10日ほど入院していたんです。

その時、ビクトリアは毎日ご主人と私の為にエネルギーを送ってくれていました。
私はそれを感じていました。だって彼女の編んだマフラーを当てていると安らぐし、痛みも治まるんです。寝る時はいつも枕元です。今も、、、。

彼女は本当に深い愛を持っている人でした。

そのビクトリアが余命5年と聞いて本当にショックでした。(8月にはアメリカで彼女の家に行く予定をしていました)

それから私も毎日彼女のために祈り、エネルギーを送りました。それで今日、夏至祭のヒーリングするねってメールしたら。

そしたらなんと、、、、彼女から「良いニュースがあるの!!」って返事が来ました。

余命5年と言われていたのに経過が順調でなんとか治療で治りそうと。今日、わかったそうです。

私はそのメールを読んで何度も涙がこぼれました。その時のことを思い出すと今も涙がこぼれます。本当に嬉しかったです。

私の祈りが届いたんだ、、、、って思いました。もちろん彼女の気力もご主人の愛も。

でも、この夏至祭で私に起こった本当に奇跡のような出来事でした。

この夏至祭に参加されたみなさま、そして今日この記事を読んで分かち合ってくださったあなたにも愛と喜びと豊かさに満ちた出来事がたくさん起こりますように祈りを込めて。

読んでくださってありがとう。

〜〜〜〜〜〜〜

これが五年前の記事です。私のブログを読んでくださっている方はもうビクトリアのことはご存知ですよね?

昨年日本に来日してくれて北海道から広島、京都、高野山、神奈川、東京と回ってくれました。

いろんなところに行って素晴らしい景色や美味しい料理も食べたけど日本のクライアントさんたちと過ごせたのが一番の宝物になったと言っていました。

私は五年前にあのマフラーを頂いてからずっと日本のクライアントさんにあなたのクロッシェ(編み物)をヒーリングに使って欲しいから作って欲しいとお願いしていたのです。

でも彼女はとても忙しくて本の執筆とか大学の講義とかもあって時間が取れないから、、、、と何年も言っていました。

そしてようやく昨年来日の時に少しだけチャクラサークルというクロッシェを作ってくれたのです。

夏至祭のパワーだけではもちろんないかも知れませんが、ビクトリアは今も元気です。医者の通告は外れました。

五年前に私もビクトリアも悲しみと絶望に打ちひしがれていましたが、今は本当にただ生きているだけで感謝です。

本当に人生っていつどこで魂の友に会うかわからないですね。しかも国も民族も文化も年齢も違うのに。

五年前の夏至祭の奇跡が五年経った今、、、本当に感謝して読めました。