なぜ神の化身のそばにいるだけで癒されるのか?

こんにちは。天海和美です。

今日は神の化身「サルルンカムイ」(湿原の神というアイヌ語)について、なぜ神の化身なのか?も踏まえお話しします。

前回は願ったことが実は現実になっているというお話の例で私のお話をしました。

ずっと切望していた木を植えて森をつくるプロジェクトについてのことについてです。

その中で木を植えて森をつくるということは単に森を育てる、水をつくるということだけでなく釧路湿原の水源地となりタンチョウ(丹頂鶴)を守るということにも繋がるということをお話ししました。

ところでそのタンチョウってどんな鶴なの?

道東地域に住んでいる方以外はあまりみたことが無いかも知れません。いやほとんど知らないかも知れませんね。

日本画や着物の柄、掛け軸、年賀状などには書かれているますが、本物を見る機会はほとんど無いでしょう。

北海道に住んでいても実は滅多に見ることはできません。カラスのように街中には住んでいる訳ではないので。

繁殖し生活できるのは釧路湿原のような湿地帯なのです。餌を取ったり天敵から身を守るために水辺の浅瀬で眠り、卵をかえし子育てします。

釧路湿原の中に行ってもタンチョウを見れるのは稀なことです。(広いからということと人間からは隠れている)

ところが冬になると酷寒の道東地域の水辺はすべて凍結し氷の世界になってしまいます。

湿原の中の湧き水がある場所だけ氷の割れ目があってそこで餌を取ることができますがそれはほんのわずかです。

明治以降開拓が進み、一度は絶滅したと思われていたタンチョウが釧路湿原の真ん中の聖域でわずか十数羽生存が確認されてしばらくして。

鶴居村の酪農家の庭先に真冬につがいのタンチョウが舞い降りたそうです。

その酪農家の方はそのつがいのタンチョウに牛の餌として与えていたトウモロコシをあげたそうです。

それから翌年もまたそのつがいが来て子どもも連れて毎年来るようになりその数はドンドンと増えていったそうです。

半年も続く凍てついた冬を生き延びることはとても難しかったようです。

その酪農家の方がずっとトウモロコシを冬場にあげていたので、それ以来秋になって寒くなるとタンチョウたちが村に戻ってくるようになりました。

春から秋にかけては子育てのためにいろいろな湿原や水辺に行っていますが冬場は鶴居村に越冬にくるようになったのです。

今は村中の人たちがタンチョウを手厚く保護しています。

タンチョウのねぐらになる川の中洲もタンチョウたちが安全に寝やすいように村の人たちがボランティアで草刈りしたり。

ねぐらの近くは車や人が入れないように立ち入り禁止にして安心してタンチョウが眠れるようにとか。

畑のあちらこちらにタンチョウのためのトウモロコシを植えたり。

小学生たちは毎年タンチョウのエサ作りをしています。

そんな村人たちのやさしい心配りの中タンチョウたちは冬は鶴居村で越冬するのです。

今、ふと思いましたが、もしかするとタンチョウは村の人たちのやさしさに触れたくて鶴居村に戻って来ているのかも知れません。

人口が2500人しかいない小さな村なのに毎年冬になると世界中から観光客が押し寄せてくるんです。

海外でも美しいタンチョウの姿は有名で私が尋ねると外国人もみんなジャパニーズ・クレインと言ってタンチョウのことを知っています。

1月、2月〜3月の半ば位までは宿泊施設は予約でいっぱいで取れません。海外の常連ツアー客や会社は1年前から既に予約をしていますから。

そんな世界的に有名な北海道のタンチョウですが地元周辺の人たちはわざわざ見に行く人はいないです。

灯台下暗しなのですよね。

実は私も最初はそんなにタンチョウに興味を持っていませんでした。

ところが初めてタンチョウがたくさんいる伊藤サンクチュアリーに行ってタンチョウを長い時間見ていた時、、、、。

自分の胸の奥が深く癒されていくのを感じました。その真っ白で美しい姿、、、

静かにそろりそろりと雪の上を歩く優雅な振る舞い、、、、

細くしなやかな首と小さな真っ赤な帽子を載せたようなお洒落さ。

時折、柔らかでしなやかな響きのある声で鳴き合います。その声はまっすぐに胸の奥に響き渡ります。

細胞の一つ一つを響きの波動で癒すかのようです。

アイヌの人たちはタンチョウのことを「サルルンカムイ」湿原の神と呼んでいました。

そしてタンチョウは人の心が読めるのでは?と思うことにしばしば出会います。

カメラ初心者だった頃、私が撮りやすいように合図を送ってくれたり。何度も近くを飛んでくれたり。

サンクチュアリーではタンチョウは人間がいてもそう逃げたりはしないのですが(そこはみんなおとなしく見にくるところと認識している)

自然界の中でタンチョウを運よく見つけても、、、、 車を止めて写真を撮ろうとする前に逃げられたり。

車を止めただけでも逃げたりと警戒心は強いのです。

しかし、私が「森の子どもたちのマザーツリーになるプロジェクト」を始めると、、、。

不思議なことにタンチョウたちは逃げなくなりました。

私が近い距離でタンチョウを見つけてスマホで写真を撮ろうとしても平然としているのです。

あれ?逃げない、、、、どうしてだろう?私のこと見えないのかな?まさかこんなに近くなのに、、、ということもあります。

私が想像するにはきっとタンチョウたちは自分たちのためになる森づくりをやってくれている人だと認識しているのでは?と思うのです。

ということでタンチョウさんの話を語り出すと3日くらいかかりそうなほどたくさん出てきます。

お話はこのくらいにしてタンチョウさんたちの自然な姿をご覧ください。

見ているだけで癒されます。(写真はクリックすると大きくなります。できたらパソコンで見て欲しいです。大画面で見れます)

 

冬の寒い朝、誰もいない静かな水辺で朝日が静かにゆっくりと昇ってきました。

あたり一面は黄金に輝き、黄金に照らされた水面に映るタンチョウの姿は極楽浄土の絵のようでした。

  

人を寄せ付けないよう山あいの奥深くにタンチョウたちがひっそりといました。

そこは大自然のままの地球の姿で、まるで自分も空気になってその場所にいるように感じました。

タンチョウたちは想い想いに羽を広げ伸びやかに舞っていました。

まるで朝の輝く冷たい光を体の中に取り込んでいるかのようでした。

私は空気になってその光景を見ていました。

水辺では同じ水鳥の白鳥たちとその場所を分かち合っていました。

自然界は縄張り争いして弱肉強食のように思われていますが。

私が出会う自然の姿は分かち合い、協調しあう世界です。

冬の間、タンチョウたちは鶴居村の中でよく見かけます。

もちろんトウモロコシもありますが人間の近くの方が安全だということを知っているのでしょう。

そして夕暮れ時、空がオレンジ色に染まる頃、タンチョウたちはねぐらへと帰っていきます。

その優雅な姿は一度見るとハートをギュ〜ッと掴まれたように一目惚れしてしてしまいます。

どうしてこんなに美しい生き物がいるのだろう、、、、といつも思います。

神の化身と言われているのもわかります。昔のアイヌの人たちはタンチョウと共に生き、その姿に癒され神のエネルギーを感じたのでしょう。

本当に美しいです。

この冬はタンチョウをて癒されるワークショップも行おうと思っています。少人数で。

12月と1月を予定しています。ご興味のある方はメールでお問い合わせください。

それでは美しいタンチョウの姿に癒されてください。