私は地球に「自分の物語を生きるためにやってきた」

こんにちは。天海和美です。

私が北海道の山の木が皆伐されているのを見て「木を植えよう」と決意した4年前のことをfacebookで記事にあげていました。

それを見ていたドイツ在住の方がコメントしてくださいました。

「すごいな、悲しい、残念はいくらでもいえるけど、天海さんのように、飛び込んでいかれる方、まるで、フランス革命のようですね。ただ、そんなに血を流さない、とても、地道な革命」

私はお返事のコメントを書いてからしばらく考えました。(思いついたのですがお腹が空いていたのでまずは夕食を食べてからゆっくり考えようと思っていました)

どうして私が木を植えようと決意したか?

それは特に大それた思い出は無かったのです。その方は「フランス革命のような、、、」と書かれていましたが。

私は外側の世界に革命を起こそうとしたのではなく「自分の世界」「自分の住む世界に革命を起こそう」と思ったのです。

私は自分が嫌いになりたくなかったから。

私は私を好きでいたかったから。

私は私を大切にしたかったから。

私が嫌だ、悲しい、辛い、という想いを自分に味合わせたくなかったし。

私が心地よくて、気分良くて、楽しくて、ワクワクしていたかった。

壊されていく地球を見続けるのが嫌だったから、、、、。

美しい地球が汚れていくのが嫌だったから。

大好きなタンチョウやヒグマ、キタキツネ、エゾシカ、オオワシ、オジロワシ、白鳥とかイルカとかクジラとかみんな元気に生きていて欲しかったから。

木があることで私は癒されていたから。

木のお陰で水が作られていることを知っていたから。

木のお陰で食べ物が育つことを知っていたから。

木のお陰で薬草があることを知っていたから。

木は私たちの生活を支えてくれていることを知っていたから。

木は地球を養っていることを知っていたから。

そして木は私の友だちだったから。

私の住む世界、私の現実は私が創り出している物語だと思うの。

少し映画でたとえ話で説明してみますね。

この映画の主人公は私で、監督、脚本、出演、プロデュース、撮影とかすべてやっている。

私は地球に「自分の物語を生きるためにやってきた」のね。だから自由に物語を作れるわけ。ただ色んな環境設定があるの。その制約の中でね。物語を作るの。

とっても美しい星に来て、素敵な人たちと出会い、毎日幸せに生きるのだけれどね。時々悲しい場面とか憤りを感じる場面とかも出てくるわけ。

その時ね、自分がどんなストーリーにしたら良いかなぁ、、、って思うのね。

美しいものが壊されていく時、知らん顔してみて見ぬ振りをするか?

そんなことする人たちを責めたり怒ったりするか?でも自分は何もしないか?

それで「じゃぁ自分はどんな世界に住みたいだろうか?」って考えるわけ。

一番嫌なのが私の場合、見て見ぬ振りをするっていうパターンかな。

見て見ぬ振りって「無関心」ってことでしょ?無関心って「愛の反対語」なんですよね。

だから無関心でいるっていうのは一見、外側のできごとに対して「自分とは関係ないことだから無関心でいる」と思うでしょ?でも、それってちょっと違うのよね。

この物語は自分の世界だから。その嫌なことを無関心で見て見ぬ振りするっていうのは自分に対してと同じなんですよね。

だから見て見ぬ振りをするって「自分を見捨てる」っていうのと繋がっている。

でもすべてを同化すると気が狂うでしょ?だけど見て見ぬ振り、見て見ぬ振り、無関心、無関心、、、、って続けていくと、、、、、。

自分の潜在意識(自分の覚えていない深い意識の世界)にどんどん澱のようになって蓄積されていくのね。

それが積み重なると理由はわからないけれど自分が無気力になったり、苦しくなったり、ネガティブの塊になったり嫌なことが続いたりするのね。

だからね、見て見ぬ振りって本当は自分にとって良くないのよね。

ほら、情けは人の為ならずってあるでしょ?

無関心でいるよりも「自分にできることは何だろう?何ができるだろう?」って意識を変えると自分の世界も変わるのよね。

たとえばね、、、、ん、、、ん~と、、、。

デパートにお買物に行った時に大きな紙袋に入れるのを断ってマイバックに入れるとか。簡易包装を選択するとか。段ボール箱をリサイクルにちゃんと出すとか。

お弁当をコンビニで買っても割り箸を断るとか。コーヒーを買う時に紙コップを使わずにマイボトルを持って行くとか。年賀状はやめてメールとかSNSにするとか。

ほらね、、、日常生活の中でも「木の消費を減らす」っていくらでもできるんですよ。考えつくことはいくらだって出てくる。

植林なんて出来ないわ。近くにはげ山が無いし~じゃなくて。

はげ山を作らないこと!だって大事なのです。先進国の紙の消費量は凄いんです。

日本は世界で6位です。自分でできることいっぱいあります。話はそれましたが、、、、。

私は自分の人生を心地よく、後悔なく、楽しく生きるために自分のイメージしたようにしようと思っています。できる範囲で。

私の大好きな本にミヒャエル・エンデの『はてしない物語』というのがあります。(ベッドの枕元にいつも置いて寝ています)

バスチャンという子どもが本を読んでたの。読んでいるうちにその物語の中に自分が入っていることに気づくの。

ファンタージェンという美しい国があって幼心の君というお姫様が棲んでいるのですが。ファンタージェンはどんどんと壊れていくのです。その壊れている原因は何かというと。

とても恐ろしい存在がいてそれが『無』というもの。虚しさ、虚無なのです。

その虚しさ、無が世界に広がることでこの星は崩壊していくのね。それを最終的には物語の中の勇者アトレーユが世界を救う旅に出るの。そのアトレーユに力を貸さなければならないのがバスチャンなのね。

でも彼は弱虫だから何もできないの。学校でもいじめられているし。

そのうち『無』が大きくなりファンタージェンを滅ぼしてしまう。何もない真っ暗な世界ね。

今の地球もそっくりじゃない?多くの人が吐き出す『虚無』のエネルギーで充満していて。

自分も諦めたり絶望すると自分の世界も『虚無』になって真っ暗闇の世界に引きずり込まれちゃいます。

私は見て見ぬ振りは自分を『虚無』の世界に引きずり込むから嫌だと思う。

お話の中ではバスチャンは壊れてしまったファンタージェンを新しく作り出すことができる「人間の子ども」なのです。これができるのは人間だけって幼なごころの君に言われるの。

幼なごころの君はバスチャンがイメージしたとおりにファンタージェンを作れるからやってみてってお願いして、彼は自分のイメージ通り元のように作り直すのね。

だから私は私の物語の中で『虚無』を創り出さないように努力しています。

諦めたり見て見ぬ振りしたりせずに「楽しく自分の住みたい世界をイメージ」するのです。

だから木を植えようと思ったのです。私の『はてしない物語』だからね。

無関心ではなく「愛を表現すること」

私たちの祖先が私たちに美しい地球を残してくれたように、私も自分の子孫に美しい地球を残していきたいから。

私は祖先に感謝しているので、それを子孫にも残したいと思うだけ。

なぜならそうすることが「楽しいから」

あきらめたり、絶望したりするよりも未来をイメージしながら楽しく生きる方が私は好きだから。

だからシンプルな理由なんです。

それで同じように思う人たちが集まってくるからそれがまた楽しい。

私の『はてしない物語』も新しい章に移るところです。

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』とっても素敵なのでぜひ読んでくださいね。