私の人生を変えた出来事・東日本大震災13年

こんにちは。天海和美です。

今日は3月11日で東日本大震災からちょうど13年経ちました。あっという間の13年という月日でした。

あの3.11の体験が無ければ今の自分の人生は無いな、、、といつも思います。生き方を変える大きな転換点でした。

私は東京にいていつものように過ごしていました。セッションが終わり、クライアントさんが帰って、私はその後電車で新宿に行くはずでしたが、メールのお返事とか仕事が終わらずにいたらあの大地震が来ました。

とても長い揺れで私はもう「遂に来たのか、、、」と思いました。1年前の3月にアメリカのネイティブアメリカンの聖地であるセドナへのツアーを主催していました。

その時ネイティブアメリカンのスウェットロッジと言うセレモニーに参加したときに大地震が来るビジョンを見ました。私だけではなく、ツアーに参加した人たちも同じように見ました。

その後も何度も地震の夢を見ました。大きな津波が来て旅館や家が飲み込まれていく様子を見ているのですが、私自身はなぜか安全でした。そんなことが度々夢の中に出てきたので、いつか大きな地震が来るのかなあと思っていました。

でもまさかこれほど大きな地震が来るとは予想もしませんでした。何が衝撃だったかというと水の放射能汚染でした。ペットボトルの水が買えないということが私にとってはとても大きな問題でした。

幸い家には水の備蓄と食料の備蓄はあったので当面困る事はありませんでした。ただ放射能のことがあったので、水道水を子供には飲ませたくなかったし、自分も飲みたくはなかったのですが、ペットボトルの水を買う事は規制されていて買えませんでした。

水が飲めない安全な水が確保できないと言うのはとても不安と恐怖がありました。

私は震災から2週間後位に再びアメリカのセドナのツアーをしなければなりませんでした。その時娘を北海道に避難させました。

帰国してから北海道へ行ったことが私の転機になりました。その時阿寒湖へ行きました。阿寒湖の近くの森を見ていた時4月の初めだと言うのにまだたくさんの雪が残っていて、その雪が少しずつ溶けて、木の周りに小さな水の流れができていました。

その水が集まって川に注いでいました。私はその水を見てとても衝撃を受けました。私たちの飲んでいる水はこうやってできるのかと改めて目の当たりにしたのです。

森が水を作っている。森が酸素を作っている。森が空気をきれいにしている。森が自然の食べ物を育んでいる。

それを目の当たりにしたときに大きな衝撃が走りました。東京には生きるために必要なものは何もないんだとその時悟ったのです。

本当に生きるために必要なものは自然の中にしかないんだそう思いました。

それが私が北海道に拠点を構えるきっかけになりました。しかし子供はまだ学生だったので、全てを北海道に移すことはできず、東京都北海道と2拠点で行き来することにしました。

それと私も大学で教えていたので、まさか新学期を前にして突然辞めて学生たちを放り出すこともできませんでした。

なので私は北海道と東京を毎週往復しながら通うと言う生活になりました。

あの東日本大震災がなければそんな大胆な事はきっとできなかったと思います。

自然の中で暮らしたいとか、自分のやりたいことをやりたいと言いつつもどこかでいつも「でもねぇ、やりたいけど無理だよね。お金ないしね。仕事あるしね」といつまでも言っていたと思います。

でもあの東日本大震災を目の当たりにした時、人間が生きるのに必要なものは何なのかということを私は強く感じました。と同時にいつ死ぬかなんてわからないと思いました。

だったら楽しくワクワクと生きたほうがいいんじゃない?いつまでも夢で終わるよりやりたいことをやる方がいいよ。だって今は生きてるんだからそう思いました。

最初はそんなことできるはずなんてないと思っていたと思います。自分でもなぜそんなことができたのかわかりません。(シングルマザーだったので)

でも今思うとやっぱり導かれてそうなったんだなぁとしか思えない。その頃は全く予想もできなかったけれど、未来の事なんてわからないし。

でも私は北海道に来てから素晴らしい人たちと巡り合い、本当に楽しく生きられるようになりました。

自然から教えられることもたくさんあるし、とても癒されるし不思議な感覚です。

そして私はあの時、阿寒湖のマザーツリーに聞いたことを実行するようになりました。私の『森の子どもたちのマザーツリーになるプロジェクト」はそれが原点でした。

いつも3月11日になるとその日のことを思い出します。そしてまた初心に戻り、自分がちゃんと忘れずに実行できているかなぁって振り返ります。

今年は震災から14年目になりますが、ようやく「マザーツリーの家」もできそうです。