まさか、スピリチュアルな意味があったなんて
こんにちは。天海和美です。
いよいよ新月となり、エネルギーが変化しました。いつもはあまり新月を気にしないのですが今回は宇宙のタイミングと同時に起こりました。
というわけで今日は朝から様々な作業に取り掛かっています。
10月14日ころから作り出した赤ワインの醸造の種取りをしています。
こんな美しい山ぶどうたちをカメの中でずっと眠らせて、毎日撹拌して酸素を行き渡らせるお世話をしています。
それで途中でぶどうの種を取り除く作業があるのですが、これがまた大変な作業で、、、、、。何千粒、いや何万粒の種があるのか解らないほどで。
これは終わりが来るのだろうか?とか、小さな農園でワイナリーをしているところはこうして手作業なのだろうか?とか考えながら黙々とやっていました。
これをもしワインにして売ったらいくらだろうか?とか、コストは見合うのだろうか?とか、労働時間に換算して毎日のケアとか考えると、、、、、。
売っている高級ワインの方が全然安いという結論に(笑)
オーガニックでもちろん無農薬無化学肥料なのでぶどう代金も2万円ほど、、、、。他にもいろんな道具とか甜菜糖とか瓶とか考えるとこのワインはすごい高額ワインになります(笑)
売りませんけど。
でもたぶん出来上がりは4本も作れないと思います。
どうして私がこんなにワイン造りとかに没頭しなければならないのかなぁ、、、、って思ったら、私のマスターがその意味を教えてくれました。
ワイン造りじゃないのね。
一つは単純作業に没頭することで高次元と繋がれること。
もう一つはこれは私のDNAの進化の為に肉体レベルから周波数を上げていくこと。
「いいワインはいい人を育てる。」と、、、、、。
そうかなぁ、、、呑んだくれてアル中みたいな人もいるけど、、、って言ったら「それはいいワインじゃないから。」って返ってきた(笑)
良いワインの意味が違うのです。
なるほど確かにそうだね。
このワイン造りはスピリチュアルな意味があるのです。
この作業は、作業自体が”祈り”ですね。
不思議なことにすべての流れは繋がっているのだなぁ、、、と思うのです。その時は特に意識していなかったのですが。
8月に友人のビクトリア夫妻とデナリ山の近くに行った時。
ちょうど紅葉でツンドラの大地は錦色の絨毯に覆われていました。
その一つ一つが色とりどりのベリーたち。クマさんやリスさんの主食なのです。
私もベリーを摘んでは毎日食べていました。ブルーベリーとクランベリー(ベアベリー)を少し摘んできて発酵させて持って帰りました。(摘んだのはロッジの私有地で、生果実は入国できないのでジャムとジュースです。)
このブルーベリーとクランベリーはデナリ山の神聖なアネルギーをたくさん含んでいます。
これを瓶に入れたまま釧路と東京を何往復もしています。(毎日、酸素を入れて発酵させているのでお留守番させられないのです)
このデナリ山(偉大なるもの=ネィティブアラスカンの言葉)のエネルギーを入れようと思ったのは、ワイン造りを始めてからです。
そのつもりで持ってきたわけではないのですが、そういうことだったのかなぁ、、、、、と思いました。
私は北海道と東京を行き来するようになって早5年半になろうとしています。
北海道にいるとすごい食にこだわっていろいろ手作りしてみたくなったり、発酵とかするとどうなるんだろう?とか理科の実験の延長みたいに面白がってやっています。
それは美味しいものを食べたい!ってことでもありますが、一番はそうやって作る作業をすること自体が”ヒーリング”だそうな、、、、。
確かに、、、、野菜や果物、発酵するものとか、、、、触っているだけで生命エネルギーを感じるし癒されるんですよね。
手からドンドン良いエネルギーが入ってくるというか。それで口から肉体内にも良いエネルギーは入ってくるわけですからどんどん良くなりますね。
そんなわけで”食べるもの”を造るという意味は”自分を癒す”作業でもあるのです。
当然のことながら自然と調和した状態で野菜や果物や穀類を作ったり、牛や豚や鶏とかを飼っている人は大いなるエネルギーを得ているのです。
ただし「自然と調和」している方法だけですけどね。農薬とか化学肥料を播いて土に無理させたり、家畜をモノのように扱っていてはダメでしょうけど。
何はともあれ、今日も1日無事に過ごせて食べられて寝る場所もあって安全にいられるということに感謝です。
日々、当たり前になってしまっていますが、それこそが本当は奇跡に近いことなんだと思います。
ふぅ〜、いつブドウの種取りが終わるかな、、、、、。