16年間頑張りました。大学講師を退職しました。

こんにちは。天海 和美です。

今年は地球レベルで新たなるステージに入ったな、、、と実感しているところです。

私も今年は大きな動きになりそうです。

まず私は2006年から大学で教えてきましたが3月末で退職になりました。

この2年間は対面での授業がコロナ禍でなかなか出来ずオンラインの授業になってしまい学生さんたちと触れ合いながらの授業が出来なくて残念でした。

16年間この大学の看護学科で「環境と平和」、そして「国際看護学」という特殊な2つの分野で教えてきました。

北海道に拠点を移してからも11年間ですね。

以前は大学を二つ掛け持ちして教えていてこちらは理工学部と経済学部の学生さんたちに『心理コミュニケーション学』という科目を教えていました。

どちらの大学も全く別々のところから来たオファーで全くの別分野です。

どうして私が大学で教えることになったかと言うと、、、たまたまそういうきっかけがあっただけで目指していたわけではありません。

むしろ教授から直に依頼があった時は「そんな教えるなんて私には無理ですから」と速攻お断りしました。

自分が人に教えられるほど理解できていないし無理だと思っていました。

でもその時に教授から「天海さん、教えると言うのは、それを学ぶ必要がある人が教えるのが一番良いのです」とよくわからない説得をされ、、、

つまりできていない人ほど学ばなければいけないから人に教えなさいと、、、。

えー、確かに学ばなければならないですがしかし、、、みたいな感じでした。

なので誰よりも自分が必死に学ぶ、、、頭の中は24時間授業のことでいっぱいでいつもスイッチオン状態でした。授業に使えるネタを探していたりとか、、、。

だから本当に自分の学びになったので教授の言ったことは間違いではなかったと思います。

3.11東日本大震災を機に拠点を北海道と東京の二拠点に移しても毎週北海道から関東の大学へと飛行機で通っていました。

もちろん大学からはそんな交通費は出ないので自腹で航空券とホテル代を出しながら授業をすると言う感じでした。

宿題もたくさん出していてその添削とか授業の準備とかで本当に大変でしたがやりがいもありました。

学生たちは私の授業が大学の授業の中で一番大好きで、出席するのが毎回すごい楽しみだと言ってくれました。

(グループワークをしているところ)

宿題を毎回出すのですがそれをこなすのがすごく楽しみで、新しい自分の可能性を発見していました。

宿題を出さない時は「え〜、今回は宿題ないのー?」とがっかりされたり、、、

そして学生たちの成長していく姿もすごく楽しみでした。

でも、北海道から通うのはとても大変でこの大学はトータル5年で辞めさせてもらいました。

今回は私からの退職願いではなくて大学の学部自体が統廃合で無くなるので先生たちも全員退職になりました。

私ももう16年間もいたので十分やりきった、、、、という思いがあります。

そんな訳で私の役割も一つ完了し、新たなステージに入りました。

16年間よく頑張りました。自分との戦いでしたが自分としてはよくここまで来れたなぁ、、、と言う感じです。まだまだ頑張らなきゃってずっと思ってきましたが。

今振り返ると、いや充分、やれるだけのことはやり尽くしたんじゃないか?って思えるようになりました。

大地震の直後も母の手術の直後も私が骨折した直後も頑張って授業をやりきりました。

うん、これでよし!

と言うことで近況報告でした。