縄文時代にタイムスリップ
こんにちは。天海 和美です。
今日はアイヌの古式儀礼の動画をアップしょうと思いましたが手間取っているので先に縄文遺跡について。
いや、別に系統立てたわけでは無いのですがなぜかこの3日間はそんな流れになってしまったのです。
初日は釧路博物館に行きアイヌの祖先の縄文時代の遺物を見たり、、、
それで儀式が終わってから目的地に向かう途中に北斗遺跡という縄文時代の遺跡があって急遽立ち寄ることに。
ここはあまり観光客が行くところでは無いのですが。
文化人類学者だから関心あるかな、、、と思ってお連れしたのですが文化人類学と考古学は全く違うものだからと言われました。
たぶん、それほど関心のある場所ではなかったと思う(笑)
私も昔行ったことが1.2度あるくらいであまり記憶にはなかったのですが。
縄文時代の人々が暮らしていた村の跡が残っています。
釧路湿原は4000年くらい前までは海だったのでこの辺りは浜辺みたいなところだったのです。
釧路湿原の小高い丘陵にはこうした遺跡が所々残っています。
なんだか祖先に案内されているような気持ちで行きました。
先ほどアイヌの儀式で祖先の供養の祈りもしたので祖先たちが私たちに来て欲しかったのかな、、、なんて思いながら行きました。
山道をだいぶ歩いた奥地にありました。
茅葺の家です。釧路湿原にはたくさんの茅があります。まさに持続可能な循環型社会ですね。
中には大きな囲炉裏がありました。何しろ縄文時代のものですからとてもシンプルです。
こんな寒いのに茅葺で!と思うかも知れませんが4000年前とかの時代は今よりも地球の平均気温が2〜3度高かったと言われていますので随分と気候も違ったのだと思います。
なので海の高さが今よりも高かったわけですね。
アイヌの古老が言っていたのは「森に行けばいつでも食べ物があった。森は大きな食料庫だった。だからアイヌはとても豊かに暮らしていた。」と言っていました。
森が食料庫というのはとてもわかります。山菜、木ノ実、ベリー類、キノコ、薬草、水、雑穀類、根菜、動物など自然の恵がたくさんあったわけで。
湖や川、海にはたくさんの魚がいて秋になると卵を抱えて大量に川を上ってくるのですから。
神々に感謝して必要な分の食べ物を採っていれば豊かに暮らせたのです。
そんな縄文人の暮らしに思いを馳せながら夕日を見ていると。
きっとこの赤い夕日は縄文人も同じように太陽の沈むのを見ていたんだろうな、、、、。
今も1万年前も4000年前も同じように日は昇り、そして日は落ちていったのだろうな、、、と思いました。
茅葺の家越しに夕陽を眺めているとなんだか縄文時代にタイムスリップしてこの村で夕陽を眺めているような感覚になりました。
アイヌのカムイノミから始まって不思議な時間でした。
「参考」
自分の遺伝子のルーツを探ることが最近できます。ハプログループ言われています。
日本人の多くのDグループは世界の他の地域ではほとんど存在せず、チベットと台湾にわずかにいるくらいです。
そしてこの遺伝子を持つ人は長寿だと言われています。