子どもの魂の目的と親の役割って何?

こんにちは。天海 和美です。
親と子の関係ってとても微妙で難しく、どれが正解でどれが理想とか難しいと思います。

親子関係で全くトラウマの無い人もいないでしょうし、自分はかつて子どもでその時の親との関係は難しくて、自分が親になってみてやっぱり子育ては難しいと感じる人も多いでしょう。

今日は久しぶりに子どもと親の関係について書きたいと思います。

子育てって何が正解で何が間違っていて、本当は子どもには何が必要で何が要らないのか?って誰でも考えると思います。

だって子どもに幸せになって欲しいし、元気に育って欲しいから。

だけどそれも型にはまっていないかも知れません。最近ある若いママとお話ししていてそう感じました。

自分が子どもの頃は(親から見て)イイ子でいよう、就職したら上司や同僚から良い人と思われたい、そして親になったらイイ親になりたいってどこかで思っていたり。

子どもの為に!!って言いながら実は自分が「あなたは良いお母さんね、、、」と他人から承認してもらうためだったり。

子どものため、子どもの将来のため、、、、って言いながらも自分の為に必死だったり。

良い幼稚園に入れて、良い私立の小学校に入れて、中学受験させて、中高一貫の進学校に入れて、いい大学に入れてその後は、、、みたいなレール。

それをやるのが良いお母さんだと思っている人も少なからずいます(都市部に多い話ですが)

世間のみんながそうしているからとか、自分の子どもをイイ子に育てなきゃ、、、、とか、他のママ友に負けたくないとか、いじめられたくないとか。だから合わなくても無理やり合わせようとするとか。

私は娘が小学校高学年か中学1年の時に「お母さんは私に何になって欲しい?」って聞かれました。

私は「それはあなたが好きなことしたらいいし、自分の人生だから自分で見つけたら良いよ。お母さんは別に何でもいいよ。」って言いました。

すると娘は「そんなこと言われても、、、。どうしてお母さんは私にこれになりなさいとか、こうしなさいとか言わないの?他のお友だちのお母さんはみんな言うらしいよ。どうしてお母さんは言わないの?」と言いました。

「そう言われてもね、、、、あなたの人生はあなたのものだからこれになりなさい!とかお母さんが決めるものじゃないでしょ。」と言いました。正直、私は娘が好きなことを自分で見つけたら良いと思っていたし、何でもなりたいものになればいいと思っていたので。

それは私が自分のことは自分で小さいころから決めていたし、好きな道を自分で選んでいたというのもあるし。

娘が生まれた時に先天性の病気を持っていて生後一か月もしないうちに手術をした、、、という経験もあったから「とりあえず生きていてくれればいい!」って言うのが実は一番大きかったと思うのね。

そんな訳で「好きにしていいよ。自分で選んだら。」って言うのが我が家の方針でした。

自分の人生なんだから自分で決めなきゃね、、、って見守っていくのが親として大事なことかな、、、と思っていました。

まぁ自立して生きていってくれればいいと。

そういえば、今、思い出したんですけどうちの母親は全然教育ママではなくて、勉強しろとか言われた記憶が無いのです。

私が母親になってからは子どもは自分で必要だと思ったら自主的に勉強すると思っていたし、親の背中を見て育つという格言を信じていたので私は家ですごい勉強していました(笑)受験生の子どもよりも自分の方が毎日勉強していました(笑)

でも娘は全然勉強はしなかったし、宿題はいつも忘れるし、部屋はめちゃめちゃに汚いし、お弁当はランドセルから出さないし。

何度言ってもできない子でしたね~。

この前も言っていましたが勉強が嫌いだったんですって。娘は、、、ま、だからしょうがないか、、、。

でね、何をしても良いよとか言っていたんですけど心のどこかで「幸せになって欲しい!」とか「生まれてきてよかったって思える人生を送って欲しい。」って思っていたわけですよ。

自由に選んでいいけど「幸せになってね。」その土台を作ってあげるのが親の役目、、、、なんて思っていました。

でもですね、、、それってやっぱり「こうなって欲しいという理想」を持っていたのかな?と。
今思うと子どもに「幸せにならなきゃいけない。」みたいなプレッシャーを与えていたかも(笑)

すべては子どもの魂が選んだ体験だから幸せも何も親の理想とは違うんですよね。

ま、それは良いのですがここでとても目から鱗の話をご紹介したいと思います。

先日、ネットでとてもおもしろい記事を見つけました。

蓑田雅之さんという方が息子さんをフリースクールに入れた経験からのお話なんですが。

当初、息子さんをフリースクールに入れたら一切勉強はせずに、学校でも家でもゲームをしていたそうです。

その時、当然のことながら普通の親だったら「この子はこの先大丈夫だろうか?勉強しなくていいのだろうか?」って心配して夫婦で話し合っていたそうです。

その時、蓑田さんが気づいたことが、、、私の胸に響きました。

「これは道(息子さん)の人生なのに、なんで親がこんなに心配する必要があるんだろうって。これはすべて本人の考えるべきことなんじゃないか、と。」

こう考えるようになった背景には、サドベリースクールで大切にされている考え方も影響していて。それが「子どもを子どもとして見ない」というものだそうです。

そして蓑田さんは「でも、実は子どもって本当は自分で考える力があるんですよね。ましてや中学生ぐらいになったら、大人と同様に考える力くらい持っているはず。むしろ親が先回りして「こうしなさい」ということは、子どもの考える力を奪ってしまうかもしれないんです。

そう考えてから、なおさら「これをしなさい」と押し付けるのは違うと思うようになりました。」と語っています。

この親が子どもの幸せはこうじゃないか?!いやぜったいこれが幸せだからこうすべきだ!それが親としての務めだ!なんて勝手に自分で思い込むわけです。でもホント、、、、子どもにとっての幸せって子どもが感じることで子どもが選ぶこと。だと思うのです。

そしてもう一つ面白かったのは、、、、
「好きなことを見つけること」が正解ではない

ここからは引用文をそのまま書きます。

「親としてはやっぱり「好きなものを見つけて学んでほしい」という思いもあるけど、そういう「理想の人間像」を親が描くのも違っていると思っていて。

サドベリー(フリースクール)でずっとゲームやっていたとしたらそれは駄目な人なのかというと、そんなことはないと思うんですよ。

もちろんそれもいいけど、そうじゃないと価値がないってことではないってことですね。大切なのは、親が「理想の人間像」を描いて、その通りになってくれたらいいなと思わないことだと思うんです。

例えば、僕が岡本さんに「こんな人になってほしい」と言ったら、なんで知らない人にそんなこと言われなきゃいけないんだって思いますよね。

そう感じるのは、どんな生き方であっても、正解かどうかは本人が決めることだからだと思うんです。

「道」という人がいて、どんな人生を歩もうとそれは本人の意志。親が「こうなってほしい」という余計な欲望をもつべきではないし、それを手放した時に、子どもは初めて自分で幸せになる権利を手に入れるんだと思います。

元記事『子どもにとって何が幸せか?を親が考えなくていい』からの引用。

私はこの蓑田さんの言葉はなんだかとても哲学的な気がしました。

どう生きるべきか?!なんて親が決めることではないな、、、と。親は子どもが考えたり決めたりできるように相談に乗ってあげたりするのは大事だけどやっぱり自分で考えていける力を信頼するということでしょうか。

つい転ばぬ先の杖、、、、と思いがちですが。

もしかするとその転ぶことさえもその子にとっての魂の学びの一つなのかも知れないと思うと。

やはりこの地球で様々な体験をするためにみんな来ているのだから。

親も子どもを信頼していくことなのだと。どんな体験をしようともそれを尊重するということでしょうね。

だって子どもも魂の目的がありますからね。