本当の豊かさの中で生きる喜び・豊かさのエネルギーが増え続け

こんにちは。天海 和美です。

豊かな人生を生きるということについて。

前回の満月はウエサク祭でした。この日は1年で一番の豊かさのエネルギーが地球に降り注ぐ日です。

私は毎年このウエサク祭の時に豊かさのエネルギーを受け取るようになってもかれこれ14〜5年以上になると思います。

そして年々、その豊かさのエネルギーの質が高くなってきているように感じます。

最初の頃は「お金」とか「モノ」が多かったように思えますが、最近は黄金の雨が降り注ぐかのように豊かさが降り注いでくるのを感じます。

私は今回のウエサク祭の前に「私の今回の受け取る豊かさはなんだろう?」ってぼんやりと考えました。

と、その瞬間にいろんな人たちの顔が浮かび、、、、その方たちから送られる「愛のエネルギー」を感じて私は思わず泣いてしまいました。

私はそしてその方のおかげで元気を与えられているんだと感じました。

それは今までセッションやセミナーに来てくださっていたクライアントさんたちからの喜びの声でした。

「私、遂に入籍しました! 和美さんの言った通り、私の思い通りの人生を生きることができるようになりました。」とか。

「昨日遂に赤ちゃん生まれました。こんな私でもママになれました。信じられません。 和美さんには感謝でいっぱいです。」とか。

「私、仕事辞めることにしました。自分の魂の道を見つけられたのも和美さんのおかげです。勇気を持ってやっていきます。」とか。

「私、旦那さんと仲直りしました。親戚とも誤解が解けてこんなに良い人たちだったんだって昨日までのことが嘘のようです。ありがとうございます。」とか。

形は変わっても、みなさん、それぞれが自分のハッピーな方向へと進んでいて。

あ〜、私もお役に立てて良かったわ、、、って思ったのです。

やっぱり、自分の役割をやり続けよう、、、って。

何故かというと、、、、、3月の末から5月の初めくらいまでの頃、私はこれからのことをとても悩んでいました。

いや、正直なところ悩むことすら出来ない程でした。

以前、お知らせしたように私がオーロラツアーの後半頃から母の体調が悪くなり、救急車を呼んだり、その後また緊急入院になって手術をすることになったり。

私はオーロラツアーの参加者の方が来るのに急に帰国することはできないから、、、、と気が気でない時間を過ごしました。

私が帰国するまで手術は待つということになり、帰国して2日後に手術しました。

しかし、手術する前に母が私に「今後のことで話したいんだけど、、、。あなたの仕事はそれを生きがいにしているのだと思うけど、仕事をすべて辞めて自分の面倒を看て欲しい。」と言われました。

その話はもう少し長いのですが短くいうとそんな感じでした。

母の一番のポイントは「仕事を全部辞めて自分の側にいて自分の面倒をみて欲しい。」ということでした。私は手術の直前に言われたのでそんな急に即答できませんでした。

いつもアメリカから帰国すると対面セッションの予約が溜まっているので(帰国までお待たせしているから)それで予定が目一杯なのです。

しかし、今回は母のことで精一杯でお断りしたり、延期してもらったりで対応しました。心苦しかったのですがそうせざるを得ませんでした。

それでもみなさんは事情を知らないのですから次々と予約のメールが入り、お断りするのも申し訳ない気持ちでいっぱいでそれでブログに1ヶ月お休みしますと告知しました。

何も知らないのですからみなさんは普通にセッションを申し込めると思っていらっしゃるのにできません、、、とお断りするとガッカリするだろうからそれなら最初から他の方にセッションをしてもらった方がクライアントさんもその方が良いと思ったからです。

それで手術後も毎日、母の病院へ通い洗濯物を持ち帰って洗濯したり、母の代わりに用事を済ませたりでした。

それに費やす時間は3〜4時間ほどだったと思いますが、、、、、。

実は病院にいる時も病院から母の家に戻っても何一つ出来ずにただボ〜ッとしていました。体にも力が入らず、思考能力も全くなく、自分の感情にすら気づけないような感じでした。

無感覚というか、無気力というか、、、、とにかく力が入らず何も出来ないでいました。最初は時差ボケかな、、、、疲れたのかな?と思っていましたがそうではありませんでした。

私はこの先どうなるんだろう、、、、?この先、毎日こんな状態が続いていくのだろうか? 私は何のために生きるのだろうか?とか。

4月はちょうど大学でも新学期が始まり、私しか出来ない講義があってどうしても出ないといけないのですが、その講義の準備にも手がつかず、、、、、。

私の周りでも介護退職する人がぼちぼちいて。この4月で高校教師を辞めて介護している人とか会社を辞めて実家に戻って行って介護している人とか、母子家庭で働きたいのに体力が持たずに介護退職した人とか。

幼馴染の弟も介護退職で母親の介護をしていましたが亡くなってしまい、働き口もなく、、、、、みたいな感じだったり。

私はこの先どうしたら良いんだろう?と悩んでいました。私は一人っ子だし、親戚も近くにいないし、誰も面倒を見る人はいないから。

母の病気や入院は今に始まったわけではなく、もう17〜18年はガンの手術を初めにずっとなんだかんだと病院に行っていました。手術したのもこれで何度目だろう、、、、?

5回以上は手術しているに救急搬送されたのも何度もあります。そして私が海外に仕事で行くとほぼ決まって病気になっていました。

きっと寂しいんだろうな、、、、と思うのですが。

ですから私は年老いた母親の面倒をみるために仕事を全部辞めて実家に戻らなければならないのかな、、、、と。

毎日が無気力な訳ですからこんな状態でブログなんて書いたらすごい暗くなってしまいそうと思ってブログも書かずにいました。

みなさんにネガティブなエネルギーの影響を与えたくなかったので。

母は手術後感染症の合併症を引き起こし、予定よりも長く入院していました。

母が退院してからも家ではほとんど寝ていて病院にいる時よりも気力が失われたようでした。早く退院したい!という気持ちで頑張っていたのに帰った途端安心したのかも知れません。

このまま寝たきりになって行くのかな、、、と思いました。公的サポートを受けるものイヤ、あれもイヤ、これもイヤ、、、、。

私も疲れ切ってこのままではダメになってしまうな、、、と思いました。なぜなら私自身も幸せでないと母も幸せではないと思ったから。

 私は私のやるべき道を行かなくてはいけない。私は私の役割を果たそうと強く思いました。

それで私は母を置いて東京に戻り、大学の講義をしました。終わってすぐに実家に行ってみると母は自分で少しづつですが生活のことをやっていました(できるように私が全て準備して行ったのですが)

そう、私が何でもやってあげていたら母は甘えて何でもやってもらいたいのです。でも居なくなったら自分でやるようになった。

でも母の中ではきっと親不孝な娘だ、自分のことを見捨てて、、、、と思っているに違いないと思うのですが、、、。

私は母のできないところは手伝うけれど、自分の役割はちゃんと果たして生きていこう、それが私の生きる喜びだから、、、、と改めて思ったんです。

森の子どもたちのマザーツリーになるプロジェクトの告知も準備も全然進んでいなくて、、、、、どうしよう、、、、と思っていました。

私の気持ちの中では始めたかったのですが、何しろ、、、、身体も頭もいうことを聞かず、、、、、、。

それで新月の日に私は突然、レムリアのレイラインに何故か行くことになりました。大自然の中にいることで私は癒されました。

無気力で空っぽで力が入らないのを無理やり平静に繕って何事もなかったかのようにしていましたが本当は泣くこともできないくらいだったんです。

それが大自然の中、、、、といってもレムリアの愛のエネルギーが溢れている中にいたことで完全復活しましたー。

そして私にたくさんの愛のエネルギーを与えて励ましてくれたのはクライアントさんたちの「幸せになった喜びのメッセージ」でした。

森の子どもたちのマザーツリーのことも「行けないけれど寄付で参加させてください。」って何人もの方からメールが来ました。

本当に有り難くてそのメッセージを読んでまた泣いてしまいました。

だって寄付を送ってくれている人たちは決して裕福でないのを知っているからです。仕事を辞めたばかりの人、もう何年も病弱で仕事をしていない人、母子家庭のママ、年金暮らしの人、、、、。

でも、いつか北海道に行って森の子どもたちの成長を見たい!今は私にとってそれが希望です、、、、っていう方もいました。

そんな風に誰かの支えになってくれてたらいいな、、、、って思いました。

昨年、このプロジェクトをやったことがきっかけで北海道の道東でSDGsの推進協議会が作られ町民、村民、市民、議員、行政が一緒になって持続可能な未来を道東から作っていこう!!って始まったり、、、、。

あっちこっちで新しい動きが始まっています。九州でも、、、、

昨年も寄付で参加してくださったM子さんから嬉しい知らせが。

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こんにちは、和美先生元気にお過ごしでしょうか?

マザーツリーPJ、今年も開催して下さってありがとうございます(^o^)v
現地には行けませんが、魂は参加で♥️
気持ちばかりですが、寄付金を送らせていただきます。

九州では、南阿蘇の震災ボランティアのメンバーが中心になり、高千穂にマザーフォレストというみんなでつくる、学びや知恵、愛情を分かち合う森が産まれました。

古民家と農作放棄地を修復して、土地の再生、地球と人、すべての生物の復興を祈り、実現していく場所です。

ベースとなるのは、フォレストガーデンというパーマカルチャーの森で、先週は浜松からフォレストガーデンを広めていらっしゃる方が来てくだいました。
みんなで森への想いをシェアしたり、実際に土地を歩いて自然との関わりかた、多様性を学び、土地の生き物同士の絆を深めました。

浜松では、中学校の授業でパーマカルチャーを学び、フォレストガーデンを3年かけてデザインしていくという取り組みが行われているそうです。
いーなー、そんな授業受けたかった!
シェアしていただいた動画で、中学生が、畑を見ると耕したくなる!って言ってて、嬉しくなりました☺️
地球を変える!って、ワクワクしてて。

いいですよね、なんか自分のすんでる場所を、どんな場所にしていこうって
ワクワクしてデザインしていくこと。

自然界の中で、人間本来の役割ってきっとそういうものなんだなって本質の部分からワクワクします

去年の北海道で産まれたマザーツリーの子どもたちが、九州にも森を産んでくれた気がします。

高千穂マザーフォレストから、北海道の子どもたちへ

今年もたくさん産まれてきてね

響き愛に感謝をのせて

週末は皆さん楽しんでくださいね☺️

お身体ご自愛ください🎵
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小さな行動でも積み重ねて行くことで、まるで湖の中に石を投げた時にできる輪のように少しづつ確実に周りに広がって行くのでしょうね。

長い話になってしまいましたが、私がこうして仕事や役割を続けて行けるのは、一緒に共感してくださって応援してくださる方たちがいるからです。

私はウエサク祭の前に私はなんて素晴らしい人生を生かせてもらっているのだろう、、、と感謝して涙が止まりませんでした。

私の言ったことに「そうだよね、私も一緒にやりたいです!」って共感してくれて鶴居村まで森の子どもたちを育てに来てくれるのですから。

私はお金では決して買うことのできない「信頼」「愛」「思いやり」「共感」「調和」「奉仕」という美徳のたくさん与えてもらっている。

こんな豊かで充実した人生はあるだろうか、、、、と本当に心から神様に感謝しました。

森の子どもたちを一緒に育てるのは私にとっては「森の家族」なのです。

大切な大切な「森の家族」

私はウエサク祭が始まる前にすでにもう豊かさの中にあるということを感じ、ただひたすら感謝しました。

セッションも、ブログもお休みしていたのにずっと待っていてくださったみなさんにも本当に感謝です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。