地球と調和する愛でいっぱいの未来・SDGs

こんにちは。天海 和美です。

この1ヶ月半は母の手術や退院後の介護で様子が落ち着くまでと思いお休みさせていただいていましたが、ようやく母もなんとか力を取り戻し日に日に回復していっています。

皆様にもたくさんご心配頂き、またセッションもお待たせしてしまい本当にご迷惑をおかけいたしました。

私もこの間、東京と北海道を行ったり来たり、行ったり来たりで神出鬼没と周りの人から言われていました。

その期間の気づきや学びはまた機会がある時にお話しするとして、、、。

今日は「持続可能な世界をつくる」大きな動きが北海道の東の端っこから始まりました。と言う話です。

4月になって大学も新学期が始まり私の担当する講義も始まりました。その講義内容をまとめていた時に「どうして自分はこんな道、歩いてきたんだろう?」って考えました。

講義の科目は「国際協力・国際看護」と言うのですが。専門科目でとてもマニアックです(笑)

私の人生を振り返ってみると若い頃(高校生位)から「持続可能な世界を作る」ということが私のテーマになっていたように思います。

特に若い頃は途上国へ行って国際支援をするというのが私の目標でした。でも若い頃にその夢は叶えられず、結婚して子供が生まれて平凡に暮らしてこのまま人生終わるのかなぁ、、、って思っていた時に父が亡くなり、そこから自分のやりたかったことをやろうと思うようになりました。

そこで始めたのが地球環境問題を解決していくためのNGO活動でした。そこから国際支援や平和活動などをするようになったんです。

今、大学で教科書として使っている本の中に国際協力の歴史とか国際看護の概念とか出てくるわけです。世界的に見て始まったのは以外と最近なんですが。

その中に国際会議(G8先進国首脳会議とか国連の会議)とかで保健医療や女性の出産や乳幼児が生き延びられるような対策について話し合われたりしたのは、本当に最近で。

それが私がNGOで国際会議に参加していた時のテーマになっていました。まさか今に繋がるとは思いも寄りませんでしたが。

当時は国連、市民、企業が三位一体出た協力していくというちょうど創世記でした。←どんだけ長生きしてるんだ?と言いたくなるほどですが。

丁度アメリカ同時多発テロの前くらいから国際会議に出るようになり、頻繁に日本から海外へ行っては戻りする期間がありました。

10年に一度、世界中の首脳が全部集まって地球の未来について色々な枠組みを作り、共通目標にして達成しょう!という国際会議があります。それが2012年にアフリカのヨハネスブルグで”地球サミット”WSSDというのがあり、それを目指して数多くの事前会議に出席していました。

その時決まったのがミレニアム目標とかアジェンダ21というもので2015年までに達成しょうという目標でした。

私が参加していたのはNGOの活動で、世界中のNGOの人たちとのミーティングに参加し話し合って国連のアジェンダの文言の中に市民サイドの提言を盛り込んでもらうというモノでした。当時は国連経済社会理事会の登録NGOとして参加していました。
死ぬほど精魂込めてやったのですが、そのことでどのくらい世界は変わったのだろうか?と疑問に思いました。

それで国連とか大きな組織として動くことの意味に疑問を感じて、もっと小さい、個人の活動として出来ることにしないと一般市民は無関心だと思いました。

誰かが悪いとかでは無くて身近なことで精一杯だし、大きな目標があっても実際自分は何していいのかわからないから、関係ないと感じてしまうということ。

私はその頃、大きな環境NGOで理事、事務局長をしていました。たくさんのプロジェクトを作って全国に地域のリーダーを作るということもやっていました。

たくさんのプロジェクトを通して気づいたのは地球のためとか人の為に何かをするって癒されて自立していないと出来ないんだ、、、と思いました。

それで人の心を癒すことの重要性を感じてひとり一人を癒すことで世界を変えていこうと思い現在に至ります。

だって世界を平和にするのは、平和な心から生まれるのですから。

世界の平和を作るにはまず自分の心が平和で愛でいっぱいになることが大事なんです。

で、私はもう国連の達成目標とか、そういう活動にはもう関わらないだろうと思っていました。

が、しかし、、、、先日道東で国連の持続可能な目標達成SDGs推進協議会の設立総会に行ってきました。

市民が中心となりここ道東から持続可能な世界を実現していこう!というものです。今回は行政にも働きかけ、市会議員や町会議員も参加され、環境省、銀行からも数名の方が参加していました。

立ち上げの中心になったのは中標津の山本さんを始めとする有志の皆さん。めちゃ力強い感じで、、、、。

そのSDGsのコンセプトや何故これが重要なのかを解いて皆さんをファシリテートしたのが水野さん。

私が水野さんに”私の過去にやってきた数々の失敗と燃え尽き”の国連の会議とか目標について話したら、、、

水野さんは「天海さんがやってきたことは無駄ではなかったですよ。だって森の子どもたちのマザーツリーPJがこの道東のSDGsを作るきっかけになったんですから。

あれが無ければ僕と山本さんは出会っていなかったし、中標津の人たちとも繋がらなかったから。

あのマザーツリープロジェクトがあったからなんですよ。」って言われました。

そう、水野さんは昨年ご家族で「森の子どもたちのマザーツリーになるPJ」に参加され、今年、和歌山県から北海道に移住されました。

山本さんも昨年マザーツリーに参加され、そこが出会いでした。

1本の木の子どもからたくさんのことが生まれ始めているんですね。

地球環境のこととか、持続可能な社会の実現とか、平和な世界といっても実際のところ、何をやっても何も変わらず、自分にはそんなことは出来ないしとか、私は無力感と挫折感でいっぱいだったんです。本当は、、、、。

だけど実現するかどうかはわからないけど、自分が生きているうちは諦めずにやり続けよう。その方が自分が心地良く生きていけるから。私は私の信じた道を生きようって思っています。

中標津であったこの設立総会に参加してみなさんの純粋なエネルギーを感じ、それぞれが何が出来るか?という想いと、何かしたい!しなければ!という情熱を感じました。

「日本の東の端から持続可能な世界を作る」ってみんなで盛り上がりました。

そして「高校生のSDGs甲子園を道東でやろう!」と言うことになりました。
未来を託す若い世代ですからね〜。

とても素晴らしい方たちに出会えて良かったです。

第一面に載せてくださいました。釧路新聞さんありがとうございます。

森の子どもたちのマザーツリーになるPJは6月9日土曜日に鶴居村で行います。今年もたくさんの森の子どもたちを育てていこうと思います。

まずはできることから始めよう。小さな木の子どもたちが何十年か先に大きな木に育ってたくさんの命を育んでくれることを想像しながら。

ご賛同頂ける方はぜひご参加ください。直接現地に来てくださる方、来れないけど寄付で参加しますと言う方も大歓迎です。

ぜひ、よろしくお願いします。

詳しくは下記をご覧くださいね。

森の子どもたちのマザーツリーになるPJ