今大事なのは恐怖より、楽しく喜びの中で生きること
こんにちは。天海 和美です。
ゴールデンウィークが始まったようで。
それと同時に?緊急事態宣言にもなったらしい。
なったらしいなんて言うと非国民っぽいのですが。
私の生きている世界では、あまり人と会わないからね。
今日も山奥とか森の中で誰とも会わなかった。車とも1台すれ違っただけでした。
そして私の周りの人、友だちとか誰もコロナを恐れている人が居ないのが現状で。
一応、人を怖がらせないためにマスクとか消毒しているくらいと言うのが本音ですね。
怖がっている人たち、ごめん。
感染予防はもちろんしていますが(周りに迷惑かけないためにね)でも怖がるかどうかは内面のことだから。
今急に思い出したのですが。
第二次世界大戦の時、みんなアメリカやイギリスの人たちはとても怖い人たちだと教えられていたそうです。
米英鬼畜といって、口が耳まで裂けていて、捕まると八つ裂きにされるとか、日本人は皆、戦時中、そう教えられていたそうです。
だからみんなアメリカ人やイギリス人(連合国側)を恐れて、本土決戦に備えて近くの竹薮から竹を切り出して、竹槍を作っていたそうです。
それで本土決戦になってアメリカ軍が来たら竹槍で戦うように教えられていた。
日本人はバカ正直なのでお上の言うこと(政府のプロパガンダ)を信じて、小学生まで竹槍でアメリカ軍と戦うように練習していたそうです。
その頃はインターネットも無かったし、youtubeも無かったし、政府の言う通り書く新聞とラジオくらいしか無いからそう信じても無理はないですよね。
戦争をやっても負けるからやめた方がいいと言った政府高官や知識人は逮捕されて、戦地の最前線に送られました。
私が沖縄に行った時、知花さんという方にガマという洞窟に案内してもらったことがあります。
この事は昔も書いたのですが(ここでははしょります)
ガマは暗い石の洞窟でそこに1000人くらいの人々が空襲を逃れて隠れていました。
シムクガマという所です。
空襲がどんどん酷くなり、遂にアメリカ軍が上陸してもうダメだ、、、、と言うときに。
米英鬼畜に残虐な目に遭わされると洗脳されてきた沖縄の村の人たちは恐怖でいっぱいで、日本軍に言われた通り自決しようとしていたそうです。
日本軍はとっくに逃げていてそこには村の人たちしか居なかった。
その時、ハワイに住んでいたことがあるある男性がみんなに「いや、ちょっと待て!どうせ死ぬならこの暗いガマでは無く、明るいお日様に当たって死んだ方が良いから」と言ってみんなを説得し勇気づけたそうです。
それで自分はアメリカに住んでいてアメリカ人はそんな鬼畜ではないからとみんなに話し、ガマから出て行って自分が説得するからと言って一人で白旗を持ってガマから出て行ったのです。
その時の写真がアメリカ軍の報道カメラマンに撮影され、今も残っているのです。
それで彼はどうなったか?
彼の言う通り、アメリカ軍は鬼畜では無く、彼らは捕虜となり保護されました。誰一人自決しなかったのです。
何が言いたいかと言うと、、、、。
今、希望を持ってほしいと言うことです。
コロナで死のうがガンで死のうが餅を食べて喉が詰まって死のうが、、、、。
人は死亡率100%です。
そして何で死ぬかは神様しか知らない。
今も何が正しくて、何が正しく無いのかも誰もわからないのです。
でも怖がって生きていても人生もったいないでしょ?
アメリカ人もイギリス人も鬼畜のように口が耳まで裂けている、、、と信じて恐怖で震えて生きていた人もいるでしょうし。
毎日、今、生きられていることに喜びを感じて生きていた人もいるでしょう。
どっちを生きても良いのだけれど、、、、。
どうせなら楽しく、喜びに溢れて生きた方がいい。
まずはそう決めませんか?
どうやって?と言うのは方法論。
まずは「私の人生、楽しく生きるわ!」って決めることが大事です。
そしたらそのために必要なことがポンポン浮かんでくるし、そういうことが集まってくるようになるんですよ。
今日はね、北海道道東は吹雪いていました。
嵐かな、、、、風も強かったし。
森の中は静かでしたけどね。雪なのでどこに行っても誰もいないところで。
クライアントさんとゲラゲラ笑い転げていました。
おっきな声で「愛してるよ〜」とか「ありがと〜!」とか叫んでいました。
ただ、叫びたくなっただけ(笑)
冬眠から目覚めたヒグマたちも聴いていただろうな、、、。
マイナス3度の雪降る中、、、、寒さで震えていても。
笑い転げた理由は特になし。
ただ笑いたかっただけ。
笑うのに理由は要らないんですよね。
ただありのまま楽しめばいい。
だから簡単なんですよ。
そして「私は楽しく生きるわ!」って決めてみてくださいね。