救急車で運ばれて入院、その後コロナになりました

こんにちは。天海 和美です。

今日はプライベートなお話。私のここ2ヶ月ほどの出来事からまたまた奇跡が起こった感じでした。色んな意味で。

母が夜中にトイレに起きて二階の寝室に戻ろうとしたら階段から落ちて、動けなくなり、、、

私に連絡が来て慌てて家に行くと痛みで動けないと、、、それで直ぐに救急車を呼んで病院に搬送され、、、

そこから検査が1日掛かりで、その後骨盤骨折で入院になりました。幸い頭の骨は折れていなかったと、、、。

実はこの話は2ヶ月近く前の話です。

私はただ目の前にあることを必死にやりこなす、、、と言うだけで、頭の中は真っ白だったと思います。

その時、沢山の書類を書かされ、やや理不尽、、、と思われることにも同意書を求められました。病院側としても人権とか自分たちの立場もあるので仕方ないと思いますが、、、。

高齢者になると自分の意思も聞いてもらえず家族が優先されたりするんだな、、、と。

私はもし自分が延命措置とか、死ぬ方法とかも自分で選びたいな、、、と思いました。

なので私は「本人に聞いてください」と言ったら「高齢者ですから正しい判断も出来ないかも知れないので」と言われました。

いやいや、、別にボケてないし、、、。

それで骨折で入院なのですが、コロナ禍なので当然面会は出来ず、看護師さんに病室に入る前に「ここから先は入れません。何か緊急なことがあっても会うことはできませんので」と言うようなことを言われ、、、。

なんだかもう死ぬまで会えないからここでお別れしておいてね、、、みたいな感じでした。

母も不安だろうなぁ、、、と思って私は母の手を握っていたらその手がとても冷たくて、、、怖いんだろうなぁ、、、不安なんだろあなぁ、、、って思いました(緊張したり、不安になると交感神経が刺激されて循環が悪くなるから手足は冷たくなる)

それで病棟の入口でお別れ、、、しました。

骨盤骨折なので歩けないし、ベッドで寝ているだけなので不自由だろうなぁ、、、と思いなごら時々メールしていました。

母は私が特訓してきたのでスマホも使えてメールができます。私が海外に仕事で行くことが多いので時差もあるし国際電話も高いからメールで連絡は合っていました。

スマホ便利ですね(笑)病室で動けなくても連絡が24時間できますから。母は86歳です。

入院して2週間近くしてから主治医から電話があり「お母さん、コロナの検査で陽性が出たので隔離します」と。

私は「えっ?入院時の検査で陰性だったのに今、陽性になったって言うのは院内感染ですよね?」って聞いたら。

主治医は「ま、今、みんなスタッフもたくさん感染していますからね」と感染が当然みたいに言ってきたのでびっくり!

高齢者がコロナに感染するとみんな重症になって死ぬ、、、みたいなことを散々テレビでやっていて、、、。

母はコロナをすごく怖がってほとんど外出もしないし、人も会わないし、テレビの情報で恐怖だらけだったんです。

だから私はきっと「母は相当ネガティブになって凹んでいるだろうなぁ、、、」って思いました。

やっぱりもう会えないのかなぁ、、、あんなにコロナを怖がっていたのに母が可哀想だなぁ、、、って思っていました。

私も何かあるといけないのでとにかく予定は立てられず、色んなお誘いも断ったり、未定にしたり、保留にしたり、、、。

ところが急に退院間近、、、みたいなメールが来たのです。母は長いことコロナ病棟に隔離され、人ともほとんど話もできず骨折で寝たきりだったので、遂にボケてそんなこと言い出したのか、、、と思いました。

予定よりもかなり長く隔離病棟に入れられていて陰性になっても一般病棟が満床だからと帰れず、、、、。

それで恐る恐る看護師さんに電話して様子を聞いてみました。

すると看護師さんは「えっ?退院の話ですか?私たちは先生から何も聞いていませんが、、、明日確認してみます」との返事。

あ〜やっぱりボケたのか、、、と私も凹む、、、。

翌日連絡があり、今はリハビリ中ですが本人の希望で退院したいと、、、。

あ、そうなんだ、、、母は一度言ったら聞かないし、病院が嫌になってそう言ったのかなぁ、、、私はこれから介護生活が始まるんだ、、、、と覚悟を決めました。

で、昨日、母は退院になりました。めでたし、めでたし。

母はコロナになったらもう家族とは会えなくて死んだらビニールにすぐに包まれて火葬されて骨になって家に戻ってくるらしいと、以前言っていたのですが。

多分志村けんとかの報道でそう思ったのだと思うけど。

杖をつきながら歩いて帰ってこれました。めでたし、めでたし。

それで私がコロナどんな症状だったの?とか病棟はどんな感じだったの?って聞きました。

別に症状はなかったけどたまたま熱を測ったら37度だった。そしたら看護師さんが慌てて、、、、鼻の穴に綿棒を入れて検査してそれが何なのか?わからなかったけど。夜中なのに個室に移されて、、、。

翌日コロナ病棟に移された。

第1日目37度発熱

第2日目喉が痛くてうがいを始める

第3日目咳が出た。しかし、喉の痛みも既になく、熱も1日だけ3日目は軽い咳でもう他は何ともなかったと。

母は自分は症状は無いけど一般病棟に戻ったらバイキンマン扱いされて嫌われるんだろうなぁ、、、ってそれが哀しかったらしい。

私がコロナになっちゃってみんなに迷惑かけたと、、、。

それで悲壮感に満ちた日々を送ったらしいのだけど、、、

隔離が明けて一般病棟に戻ったらみんながエレベーターの前まで迎えに来てくれていて、生還したことを拍手で迎えてくれたらしい。

それが嬉しくて母は涙が出て止まらなかったと、、、。

母はコロナになって、迷惑かけて、みんなに嫌われる、、、と勝手に自分で物語を作って落ち込んで10日以上過ごしたのですから。

ところが戻ってみると実は母の担当看護師がコロナになり、他のスタッフや患者も感染しクラスターが発生していたそうです。

看護師長さんからも「感染予防気をつけていたのに本当に申し訳ありませんでした」と謝られたそうです。

病棟のスタッフたちは86歳の寝きり老人だからコロナに感染したらもう死ぬかも、、、って心配していたそうです。

だから看護師さんたちもクラスターからの感染だし母が生還してホッとしたようでした。

母にしてみたら自分の想像していた物語と全く違ったのです。

それで改めて「コロナはどうだった?インフルエンザとどっちが大変だった?」って聞いたら「コロナ自体はそんなに大変じゃなかったけど。隔離されて看護師さんたちがみんな宇宙服みたいなやつで来て誰とも話せないし寝たままだしもう、それが辛かった。

コロナの症状は大したことないよ」と余裕の発言でした(笑)

そんな訳で私も2ヶ月近く不安な日々を送りましたが『奇跡のコース』の言葉がとても支えになりました。

何があっても最善の方向に向かうやり方を見つけた、、、と言う安心感でしょうか。

私はとにかく母に「あと10年生きようと15年生きようと病気のことばかり、心配して生きないで。

どうしたら残りの人生を楽しく幸せに生きられるかを考えて生きてほしい」と伝えました。

母は「どうしたらそうできるのよ?色々病気あるのに」と言うので。

私は「病気があったとしてもその中で楽しいこと見つけたら良いじゃん。病気のことばかり心配して生きていても長生きする意味ないから。楽しく生きてね。」と伝えました。

楽しく、幸せに生きるのは自分の決断しか無いですからね。

あなたにとって素敵な週末になりますように。